【大学教育センター】新任教員の紹介 – 井上 泰准教授 –

 大学教育センターに今年度着任の井上泰准教授を紹介します。日本中世文学を専門とし、この春まで中等教育の現場で教鞭をとるキャリアでした。井上准教授より自己紹介の文章が届きましたので、大学教育センターの記谷から紹介します。

 


 福山大学の学生のみなさん、こんにちは。 今年度4月に福山大学・大学教育センターに着任した、井上泰と申します。
 授業は、共通基礎教育の「日本語表現法」、それから「国語科教育法Ⅰ・Ⅱ」や「総合的な学習の時間の指導法Ⅰ・Ⅱ」、教育実習関係のものを担当しています。
 担当授業からも分かるように、専門は言語系、特に国語科教育です。また、昨年まで中等学校教員でしたので、教職関係の授業についても経験を踏まえつつ授業を進めています。
 また、日本の中世文学(いわゆる古典文学)も専門としています。特に文学と絵画、それぞれの表現に興味があり、『源氏物語』を描いた源氏絵や「信貴山縁起」を描いた信貴山縁起絵巻、さらには、兵庫県の極楽寺というお寺にある、「六道絵」も分析したことがあります。本六道絵には、人の人生(いわゆる現世)から、死後に行われる十王審判などの、あの世の様子が描かれています。当時の人々の思想のあり方と、その思想の表現の仕組みを明らかにしようと取り組みました。こうした文学と絵画の話は、担当授業ではなかなか披露できないのですが、私の興味関心の中核をなしていますので、どこかで話ができればいいなと思っています。
 さて、みなさんは大学で学ぶことにどんな意味を感じていますか。
 寺山修司(1935―1983。歌人、劇作家)が、「10通の手紙」という文章の中で、次のように書いています。

 十九歳のとき、ぼくは初めて詩集を出した。そのあとがきに「偉大な政治家にならなくともよいし、偉大なスポーツマンにならなくともよい。ただ、偉大な質問者になりたい」と書いた。
 そのころ、私にとって人生はまだ始まったばかりだったので、多くの未知のものが横たわっていたのである。私は思ったものだ。私自身の存在は、いわば一つの質問であり、世界全体がその答えなのではないか、と。
(中略―井上)
 大切なことは、そうした場合に一つの決定論に身をまかせてしまわずに、一度は疑問符をさしはさむということなのではないか。
 友よ、疑問符をいっぱい持とう。
 そうすれば、より多くの答えによって世界全体とつながるのだから。

 繰り返し、「質問」、「疑問符」という言葉が出てきますね。そして、「友よ、疑問符をいっぱい持とう。」と呼びかけています。
 みなさんにとって、「質問」や「疑問符」は身近なものでしょうか。また、「世界」はどんな風に見えていますか。
 実は、私も若い頃、ここでいう「世界」がよく分からず、その世界とアクセスするために学問の世界に興味を持ちました(厳密に言うと大学の先生方に興味を持たせてもらいました)。歳を重ねつつある今でも、研究は、世界を深化・更新するために行いたいと思っています。
 みなさんの大学での学びが、未知の世界を〈知る〉ためのものであると同時に、未知の/既知の世界を〈問い〉、世界を深化・更新するためのものとなることを願って、また少しでもそのきっかけづくりができたらいいなと思って授業をしています。
 さて、本記事は、自己紹介がテーマなので個人的な話をもう少し。私はアウトドアや体を動かすことが好きです。いつもは言葉で、頭で考えていますが、五感で、身体で感じ考えることも大事だなって思っています。
 次の写真は、愛媛県の瓶ヶ森という山から、夜明け前に撮影をしたものです。こうした風景にもっと出会いたいと思っています。

井上泰先生紹介文中写真_瓶ヶ森

 着任して、福山大学の春と夏を経験しました。花や緑。自然あふれるこのキャンパスからエネルギーをもらっています。もちろん、みなさんからも。
 そろそろ落ち葉を見つけるようになりました。福山大学の秋と冬はどんなだろう。
 みなさんの成長とともに、今後の福山大学での生活も楽しみにしています。

 

学長から一言:大学教育センターへ今春赴任の井上泰准教授、福山大学へようこそ! 自己紹介の記事の掲載にいささか手間取ってしまいましたが、もうすっかり福大の水や空気に馴染んだことでしょう。これまでの学問研究の実績がさらに大きく花開くようになるとともに、たくさんの学生諸君を魅了する授業の展開を期待しています。