【生物工学科】秦野琢之教授の最終講義

生物工学科の名物教員、秦野琢之教授の最終講義が行われました! 岩本学科長から当日の詳細なレポートが届きましたので、学長室ブログメンバーの吉崎が投稿いたします。

 


3月9日(木)午後1時30分から2432教室に於いて、生命工学部生物工学科の秦野琢之教授の最終講義が開催されましたので、その様子を報告します。

はじめに

秦野琢之教授は、福山大学工学部に生物工学科が設置されて、ちょうど1年後の昭和62(1987)年4月にサッポロビール株式会社から本学に赴任され、故福井作蔵名誉教授松崎浩明教授らとともに遺伝子工学研究室を主宰され、この3月で定年を迎えられました。その間、36年の長きにわたり本学の教育と研究、そして幅広い社会活動に貢献され、その集大成としてこの度最終講義が行われました。

最終講義をやろう!

とはいえ、この新型コロナ禍です。終息に向かいつつあるとは言え、新型コロナの感染対策を行いつつ、果たして最終講義ができるかどうか判断がつかぬまま時が過ぎ、「よし、やろう!」と決心されたのは最終講義実施の10日ほど前ではなかったかと思います。最終講義とは言え、密は避けなければなりません。賑やかなことが大好きの秦野教授としては、さぞ残念だったと思いますが、卒業生には声を掛けず学内限定、文字どおりの講義だけでパーティー等もなしでの開催となりました。

スライドについて

さて、その最終講義の様子ですが、秦野教授曰く「講義の用意は実質3日程度しかなかったので、写真が殆どなく文字ばかりのプレゼンになりました。そこで、昔の学会スライドみたいに、ジアゾ式の青焼風にしてみました。」とのこと。若い学生さんには何のことかわからないと思いますが、昔はスライドといえば青地に白抜き文字でした。説明すると長くなりますが、1文字訂正するのも半日ほどかかります。かつて、遺伝子工学研究室では発表前日の夜遅く、故福井作蔵名誉教授の前で発表練習をして誤字脱字の訂正を言明され、スライドの色のように青くなりながら、間違いの指摘を受けた学生さんが夜通しスライドを訂正したこともありました。今では到底考えられない、苦しくも懐かしい思い出です。

最終講義の内容

最終講義は、世話人の松崎浩明教授の司会進行のもと、福山大学への赴任の経緯、最初教壇に立つのが怖かったという裏話から始まり、次に本学で行った研究についてさっと触れられました。普通、最終講義は在籍中に行った研究の紹介と、それを担当した卒業生の紹介を軸に進められることが多いのですが、すぐに研究室でのレクリエーションや大学祭でのアマゴの塩焼き、プロジェクトMへと話が移り、特にラオスに関する内容が最も充実していたところは誠に秦野教授らしい。最終講義を終えるに当たり、最後に伝えたいメッセージとして「遊ぶことは大切なこと!」を掲げられ、学問をするにも、生き方の上でも多くのヒントが見つかる「遊び」がいかに大切か訴えられました。「30年若返ったらまだまだやりたいことはいっぱいある!」とのことで、誠に良い時代に大学生活を過ごされました。

花束贈呈

講演終了後は学科が用意した花束のほか、どこからか聞きつけたのか卒業生から送られてきた花束、また学内限定なのに密かに紛れ込んでいた卒業生からも花束を贈呈され、万雷の拍手(ちょっと大げさか?)のもと、最終講義を終えられました。

秦野先生、長い間どうもお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

★★★ 最終講義の内容は配信でもご覧頂けます ★★★

 

 

学長から一言:秦野琢之教授、36年間にわたる本学での勤務、本当にお疲れ様でした。動画に溢れる教授のお人柄も含めて、「サンキュー」につながる実施日、3月9日の最終講義を堪能しました。数々の研究実績もさることながら、若い人を育てることへの強い思いを感じました。「学生さんがいなければ先生など存在しない」「明るく楽しい学び舎に!」との言葉を大切にして行きたいものです。