【国際経済学科】福山市松永支所を訪問:日系南米人コミュニティ

国際経済学科の佐野ゼミが、福山市松永支所をインタビュー実施のために訪れました。松永支所には、ポルトガル語やスペイン語対応の通訳担当の方が働いていらっしゃいます。国際経済学科には南米系のルーツを持つ学生が在籍しており、また、この松永地域には多くの日系南米人の方が暮らしています。今回、日系人コミュニティの調査の一環として、行政の現場で関連の業務に従事していらっしゃる方にインタビューを行いました。今回は、そのインタビュー内容の一部を紹介します(投稿は学長室ブログメンバーの白)。

まず、福山市では、この松永支所にポルトガル語やスペイン語の通訳の方が働いていらっしゃいますが、本庁舎にはいらっしゃいません。本庁舎では、中国語やベトナム語の担当職員が配置されているそうです。そのことからも、福山市の中でも松永地域に南米系の方が集中していることが分かります。現在2人の職員が松永支所で働いていらっしゃいますが、2人とも日系人のルーツに持ち、この松永で育ったそうです。

普段の仕事としては、住民票やビザ、税金といった手続きの橋渡し役を務めることが主ですが、業務内容は多岐にわたります。とりわけ、行政の書類は日本語で書かれていて内容も難しいため、多くの相談が地域の住民、さらには県外からも寄せられるそうです。南米系の住民にとって欠かせない役割なのですが、時にはプライベートな事柄まで相談に来られるため、そういった場合には断るのも一苦労だそうです。

そもそも、なぜこの松永地域に日系南米人が多く住むようになったのか、それは1990年に遡ります。この年、人手不足に対応するために入管法が改正され、20世紀前半に日本から海外へ移住したいわゆる日系人やその子孫に対して、日本での在留資格取得が緩和されたことに始まります。同じ時期に南米の国々では経済危機に苦しんでいた背景もあり、多くの日系人が職を求めて日本に移住することとなりました。この松永地域では、周辺に三原や尾道、福山といった工業地帯があることもあり、日系南米人の居住拠点となっていきました。また、松永では古くからあった塩田や木材置き場が次々と住宅地や商業施設に転用されており、外国人にとっても住みやすい環境が出来上がっていったようです。

近年は、新たに移り住んでくる日系人は減少傾向にあります。それでも、南米からの住民同士、横のつながりが強いことがインタビューを通して感じることができました。

ゼミ生の今村君:「福山市が海外にルーツを持つ住民に対して、地域に応じた対応をとっていることを感じることができました。見ず知らずの土地に移り住んだ家族にとってもありがたいと思います。」

左からゼミ生の今村君、通訳の山本さん、梶田さん

 

 

学長から一言:地域経済に対する理解や研究の一環として、大学の近隣地域の住民である日系南米人の生活実態に迫るために、福山市役所の松永支所勤務の通訳担当者にインタビューを行うというのは、なかなか面白いアイデアですね。ご協力いただいた通訳担当の山本様や梶田様から得られた情報を手掛かりに、さて次はどんな手法で深掘りするのでしょう。楽しみです。