【人間文化学科】青木ゼミ2024年度後期研修旅行・最終回報告

青木ゼミ2024年度・最終回研修旅行の報告書が完成しました。これまでのゼミのフィールドワークの総まとめの冊子となりました。フィールドワークにご協力くださった地域の講師の方々、スクールバスの運転手の皆さん、ありがとうございました。以下に、最終回の研修旅行の様子を青木が報告します。(投稿はFUKUDAI Magメンバーの古内)。
青木ゼミでは、2025年2月23日(日)・24日(月)に、岡山県内の文化施設、史蹟を巡るフィールドワークを行いました。ゼミ3年生の他、1~4年生、留学生併せて8名が参加しました。今回は、青木の退職に伴い、青木ゼミ研修旅行の最終回となりました。この研修旅行では、青木自身の研究・調査の現場を学生に経験させることが指導の中心です。そして、その研究としての目的は三つありました。
第一は、井伏文学における地域の文化財についてで、今回は、井伏文学における備前焼についてです。前期に行った井伏鱒二の小説「海揚り」についての続きの調査で、「海揚り」そのものを実見することが今回の目的です。「海揚り」とは、中世に作られた備前焼が船で瀬戸内海を運ばれる途中に難破して海底に埋もれたもので、後世引き上げられて骨董として珍重されたものを言います。この小説については、2014年に小説の舞台となった府中市での調査で、井伏鱒二に「海揚り」を教えた福山中学の同窓生の存在を明らかにしたのですが、「海揚り」そのものは未見でした。今回は、岡山県立博物館、備前市埋蔵文化財管理センターの学芸員の方にお願いして、その現物を見せていただくことができました。
第二は、井伏鱒二文学の精神的背景となっている儒学思想の、西国街道における系譜を訪ねるもので、昨年度は井伏の父の出身校で、井原の興譲館を訪ねました。今回は、さらにその原点ともいえる江戸初期創建の、庶民も学べる藩営の閑谷学校を訪ねました。
第三は、井伏鱒二文学の文化的系譜とも言うべきものを訪ねることです。今回は、井伏が中学時代に作成した詩画集のアイディアの元になっている竹久夢二の作品を実見しました。
今回の研修旅行は、これまでの青木ゼミの研修旅行の締めくくりにふさわしい内容となりました。井伏文学の原点となる儒学の伝統と古代から続く生活文化の一端を、また現代に通じるモダンな生活文化の流れを知ることになりました。参加者は、青木ゼミ生(3年生・4年生)と、この研修旅行のリピーター、それから初めて参加する1年生が含まれています。それぞれに貴重な時間を共有することができました。
Ⅰ 岡山県立博物館での研修
岡山県立博物館では、「海揚り」の現物を見学し、備前焼の研究者である学芸員の重根弘和氏から、中世から近世にかけての備前焼の歴史を解説していただくとともに、現在展示中の「茶碗 茶の湯に触れる」について、詳細な解説をしていただきました。
特に、学芸員を目指す学生のために、「海揚り」の実物を、特別閲覧願を出して許可をいただき、見せていただきました。
※事前学習で見た「海揚り」の写真
青木ゼミでは、井伏の小説「海揚り」について長年調査してきましたが、「海揚り」の現物は未見のままでした。今回、やっとその現物に巡り合えるということで、行きのバスの車中で、海揚りについての解説pptのプリントを見ながら説明しました。そこで、昭和初期に海揚りを引き上げた岡山の数寄者・陶守三四郎の著書『古陶磁銘品図録』とその中に掲載されている「海揚り」の写真を紹介しておきました。
陶守三四郎著『古陶磁銘品図録』
陶守コレクション中のお預け徳利
同 鶴首徳
※「海揚り」実見―触れて発見する備前焼の歴史
岡山県立博物館で見学した備前焼は二種類あり、一つは室町時代14世紀~15世紀のもので、山陽新聞社主催で発掘されて当博物館に寄贈されたもので、貝殻の付いているものもありました。もう一種類は、安土桃山時代から江戸初期くらいもので、美しい備前焼の徳利や大皿で、これは、博物館が購入されたもので、いずれにも箱や箱書きのある銘品でした。これがまさしく本で見た陶守コレクションの実物であったようです。
貝殻の付いたままの備前焼擂鉢(出土地:水の子岩 海底)
それらを手にとって観察することを許された学生たちは順番にこれを手に取って観察しました。その中で、一人の学生が上記二種類の備前焼の内、擂鉢に注目し、その鉢の内側に付けられた線の付け方の違いに気が付きました。古い時代の擂鉢には線は直線で線と線の間は狭いが、新しい時代の擂鉢は、線と線の間が空いており、斜めの線が入っていることを見付け、それはなぜかという質問をしました。これについて、重根氏は実際に食物を擂る実験をしてみたという話をされ、擂るものが違うからだとの結論を出したとの話をされました。古い時代のものは粉食のための穀物を擂るためのもの、新しい時代のものは味噌を擂るためのものであろうとのことで、その背景に食生活の歴史があるのだという話をされました。
順番に手に取って備前焼を観察する学生達
火襷大皿の説明をする重根学芸員と学生達
海揚りのお預け徳利(購入品)
海揚りの鶴首徳利、海揚りと言う場合、普通はこれを指すとのこと。備前焼研究者・桂又三郎の鑑定書付き。
14~15世紀の擂鉢
安土桃山時代から江戸初期の擂鉢
Ⅱ 備前市埋蔵文化財管理センターから備前焼古窯南大窯跡で窯跡を見学
備前市では、現在4月にオープンする備前焼美術館の準備中で、そのプレイベントとして、2024年10月11日から12月15日まで「海の古備前、山の古備前」と題する展示会を開いていました。その展示を担当された学芸員の田邊桃子さんが備前焼の歴史について、また、古窯南大窯跡で実地に備前焼の作成現場について説明をしていただきました。室町時代から明治初期にわたって営々と続けられた備前焼制作の跡を実感しました。
史跡 伊部南大窯跡の入り口
窯の構造について説明を聞く。
室町時代から明治初期まで打ち捨てられた陶片の山
学生が発見した陶片に人形が付いており、保名酒の瓶ではないかとのこと
窯壁と窯を支える柱の跡
陶片を持ち帰ることはで文化財保護法違反です。
Ⅲ 閑谷学校で、儒学教育の原点を実体験する
青木ゼミでは、2年前から井伏鱒二の教養の原点解明を目指していましたが、昨年度は父郁太が通っていた興譲館の初代館長・阪谷朗廬の足跡を追って、井原の史跡探訪を行いました。興譲館が創設されたのは、ペリーが来航した1853(嘉永6)年で、幕末です。そのとき、その儒学教育の原点を追及したいという問題意識が生まれました。
閑谷学校は、江戸初期の1670年に岡山藩主池田光政によって創建された庶民も学べる藩営の学校で、全国的にも早い時期の創建です。それは、岡山藩における儒学教育の原点をうかがうにふさわしい場所と言えます。
23日の午後、閑谷学校青少年研修センターに到着し、そこで香山真一所長を始め、担当の職員の方の出迎えの下で、入所式が行われました。そこで、所長から岡山藩初代藩主・池田光政公が閑谷学校を創建するまでの話しを伺いました。光政は、藩主になってまもなく島原の乱に出て農民の蜂起を目の当たりにし、農民を力で抑え込むのではなく、価値観の共有が必要と考え、学校の創建を思いついたとの話しでした。光政は、その学校の場所として閑谷を選び、津田永忠に命じて1670年に創建、1673年に茅葺の聖堂が完成、その後1701年に黒瓦葺の講堂などが完成し、現在の閑谷学校の形が整ったとのことです。
1,閑谷学校の理念と藩主・光政の霊魂
24日午前中に、香山所長の案内で、閑谷学校の「講堂学習」と「史跡探訪」を体験しました。
初めは、光政を祀る廟「御納所」で、椿で作られたアーチの向こう側に光政の髪と爪を納めたという塚のようなものが見えました。儒教における死者の霊魂についての話があり、それは呼べば戻ってくるという考え方であるとのことでした。
この「御納所」の隣に、孔子廟が祀られています。藩主・光政に対する崇敬が感じられました。
2,永続性を埋め込まれた学校
光政に学校の創建を命じられた津田永忠は、学校を永続させるために、建物に工夫を凝らしたとのことです。木造の建物は、屋根が大事ということで、屋根は当初茅葺でしたが、閑谷焼きの瓦にしました。そして、排水設備を整えました。瓦の下に、水を流す管、そこから洩れた水を流す杮をさらにその下に敷いて、雨水を流すしくみをとっているそうです。同じく、建物の入り口の前に、傾斜を作って水分がすべて流れていくように、小石を並べたろ過装置のような場所がつくられ、集まった水は外の池に流れる仕組みだそうです。さらに、木造の建物の大敵は火事です。講堂の横には、「火除山」という遮断壁がつくられて、生徒が生活する宿舎との間を隔てて火気を避けるようになっているそうです。
屋根の排水装置
建物の排水装置
火除山
講堂前で記念写真
3,講堂学習
研修の内容については、閑谷学校青少年研修センターとの打ち合わせの中で、江戸時代の儒教教育の内容について、また、「論語」の「素読の体験」を通して、広く「生き方」に関する講釈をしていただきたいという希望を出していました。
24日の朝は小雪がちらつく大変寒い日となりました。講堂に実際に座り、香山所長の素読について論語の一節を、声を挙げて唱和しました。声を挙げてみんなと声を一つにすることは、言葉が脳に刻み込まれるとともに、寒さを忘れました。
大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しましむるに在り。至善に止まるに在り。(『大学』第一章)
民を新たにするに在り。(朱熹『大学章句』)
講堂の真ん中には「克明徳」の額が掲げられています。「明徳」は、自分の中にある徳を磨くこと、と解説されました。
講堂は、八本の丸柱で囲まれ、アーチ形の天井でおおわれた特別な空間となっており、和した声が良く響いて聞こえるように作られているとのことでした。
素読と解説が終了した後は、棕櫚箒を持ってみんなで掃き掃除をして、学修を終えました。
アーチ形の天井
閑谷学校青少年研修センターの食堂で
Ⅳ 夢二郷土美術館―生誕130年の記念の年
夢二郷土美術館では、生誕130年記念で、夢二の軸物がまとめて展示されていました。そこには、江戸趣味的なもの、西洋的なもの、山水画的なものなど、夢二の多様な才能を見ることができました。
井伏の中学時代に作成した詩画集は、夢二風の少女の絵や、夢二の童謡の引用があり、明らかに夢二に影響をうけていたことを知ることができます。初期の作品には、ロマンティシズムの匂いが濃厚です。
青木ゼミ研修旅行の最終回は、無事終了しました。
※学生の感想から
・今回初めて青木ゼミフィールドワークに参加し、井伏鱒二に関連する土地へ足を運び学んだことが多くあり、本当に参加して良かったと心から思いました。
1日目に訪れた岡山県立博物館では、博物館のバックヤードを見学させてもらい海揚り備前焼を直に手に取り観察するという貴重な体験をさせていただきました。私は海揚り品の中でもすり鉢に興味をもち、学芸員の方に質問をし時代背景によってすり鉢の溝が増えていくという事を学びました。すり鉢一つとっても時代の移り変わりからくる食生活の変化が読み取れ、とても勉強になる時間でした。その後も数々の博物館や美術館を訪れ、時代によって流行が違い、時が流れるにつれ流行が一昔前に戻ったりする様を見て、現代の私たちのファッションの流行と似ていると思いました。(1年生 小林)
・講堂学習で素読した論語が大変心に残った。「仁」を常に持っておこうと思った。歴史的な建造物や作品を見ることができてとても良い体験になった。(3年生 小林)
・夢二郷土美術館で見た夢二の作品は、太めの筆で柔らかく描かれていたのが印象的でした。展示は、「手弱女の夢二」と「益荒男の范曽」との比較になっており、より夢二の女性的な線でS字を意識した構図がよくわかりました。夢二が描いた掛け軸の作品を見てみると、木炭で下書きをした跡が残っていました。学芸員に質問したら、はっきりとした理由はわからないが、西洋の油絵を意識したのかもしれないと仰っていました。個人的には下書きはないほうが好きです。范曽の作品は、下書きなしで全て描かれており、そこも夢二との比較になっていて面白かったです。夢二は出版物のデザインなども多く手がけ、版画だと下書きはわからないので、掛け軸の作品は、夢二の絵の描き方がわかる貴重な資料だと思いました。(3年生 曽我部)
・岡山県立博物館、備前市埋蔵文化財センター、窯跡、閑谷学校、夢二郷土美術館を訪れ、貴重な説明を聞きながら、歩き回りました。研究をしている留学生としても、初めてこのようなフィールドワーク旅行に参加し、一人でなかなか行けない見れないところに行けて、色々なことが非常に勉強になりました。岡山県立美術館で海揚りの備前焼を手で触れて、非常に印象的でした。その後、いくつかの時代からの綺麗な天目の茶碗も見て、誰に使われたか、どこで発見されたか、色々わかりました。井伏鱒二や川端康成の作品にも出る物なので、文学と歴史の繋がりが見えてくる旅行でした。閑谷学校での宿泊も人生初の体験で、みんなと一緒に食事して、布団を敷いて、掃除するのは心地よかったです。次の朝に、論語学習を受けて、手足が冷たくても、心が温かく感じました。最後に、夢二美術館も初めてだったんですが、美人画のことは前に少し聞いたことがあり、馴染みがあるところだと思いました。帰りに、疲れていても、達成感を感じたのは最高の修学旅行の終わりでした。(Kristina)
・閑谷学校で行われた講堂学習では『朱熹』や『孟子』をはじめとする朱子学に触れることができ、人としての在り方や精神について深く学べ、知見を深めることが可能だ。
特徴の一つに、身分制のない学校度という事が挙げられる。身分制度の激しかった江戸時代において、身分を問わないどんな者でも等しく学ぶことが許されたのだ。
普段の生活において備前焼や朱子学の教えに触れる機会は「あたりまえ」に存在し、日常に溶け込んでいる。その一方で、現在に至るまでの歴史や教えや手法が確立された工程は軽視されることが多くあまり深く学ぶことはない。また、近年では文化面においても人と人との関わり方においても希薄している傾向にあるからこそ、今一度我々の先代が創ってきた教えや技法、歴史について学び理解し、受け継いでいくことが大切だと考える。(3年生 久一)
※ 毎回、研修旅行でバスを運転してくださったバス運転手の皆さん、本当にありがとうございました。
学長から一言:人間文化学科の青木美保教授主宰のゼミで行われた今年度の研修旅行は大変な充実ぶり。井伏鱒二の小説『海揚り』に登場する中世の沈没船に積まれた備前焼の土器から当時の生活文化にまで思いを馳せ、近世の学校で今に遺る代表格の岡山藩の閑谷学校で儒学教育の奥義に触れた旅は、参加した学生の皆さんの頭と心に深く刻まれたことでしょう。ゼミの研修旅行としては最終回の今回、その報告にふさわしい骨太の内容が光ります。