【☆学長短信☆】No.41「ベンゼン亀」

 今年度も早いもので、ほぼ半分終わり、昨日から前期末の定期試験の時期になりました。学生の皆さんは今学期学んだ事柄を復習し、試験で好成績をとるために頑張っていることでしょう。この時期に相応しい話題について思いを巡らしているうちに、ふとあることを思い出しました。
 本学のホームページにおいて、キャンパス内での出来事をタイムリーに知ることができるのが、今年度から「FUKUDAI Mag」と今風の名前に変わった旧称「学長室ブログ」です。年間の延べ掲載数を見ると、毎年ほぼ「日替わり」状態と言えるほど多くの投稿が各学部・学科・センター、それから事務系各部署からあがってきます。そうしたブログ記事の中に薬学部をはじめ理工系の部局からの投稿があり、学会での発表、研究成果の受賞の報告に関する記事には、実に専門的で、根っからの文系人間の私などには、研究論文のように思われ、内容理解に手間取るものもあります。化学物質を元素の構成で表現した化学式や分子構造を図示したものが現れることも含まれます。その分野の人達には何でもない常識なのでしょう。こんな場面で、いつも頭に浮かぶ個人的エピソードがあるのです。
 高校2年生の時の化学の試験で、まったく理解できない問題に出くわしたことがありました。暇をもてあました悪ガキは、ベンゼンの構造式が確か六角形だったこと思い出し、解答用紙の裏に首と尻尾だけ付けた亀の甲羅の絵(「手も足も出ません」の駄洒落)を描き、ご丁寧にも「ベンゼン亀じゃ」と、最終的に消しゴムで消すこともなく提出してしまいました。案の定、後日、クラス担任でもあった化学の先生に職員室に呼び出され、「答が分からなければ余計なものを描かずに白紙で出せ!」と、こっぴどく叱られました。今思い出しても、馬鹿なことをしたと冷や汗ものですが、その一方で、なかなか面白いことをしたじゃないかと、内心クスッとしている自分がいるのです。また、とある大学の入試でも白紙の答案用紙にきわめて上手なダルマの絵を描いて提出した猛者がいて、採点者の間で「手も足もでません」のシャレだろうと話題になったことがあったと、入試をめぐる雑談の中で聞きました。同じくらいの年頃で同じような事をした子がいたんだと思い、その話を聞いたとき、なぜか気持ちがホッコリしました。
 今回の短信は興が乗ったついでに、試験にまつわる我が思い出をもう一つ。大学3年次だったと思いますが、教育哲学の論述式の定期試験の問題は哲学者ナトルプか誰かの思想を問うものでした。その学期における授業担当の教授の力の入れ方から、てっきりルソーが来るなと山をかけ、前の晩に相当に頭に詰め込んでいたのです。ところが、予想は大外れ。ほとんどまともな解答が書けそうもありません。そこで何をしたかと言えば、「本テーマは教育哲学研究にとって極めて重要な課題だと思いますが、私にとってより重要と思われるルソーについて敢えて書かせて頂きます」と断り書きを書いた上で、昨晩仕込んだ内容をしっかりと書き連ねました。自分で言うのも何ですが、そこそこ良く書けていたのではと思います。しかし、本来求められた解答からまったく外れているのですから、この学期の成績は当然「不可」を予想していました。ところが、寛大な老教授は「可」を付けてくださったのです。確か大学在学中に専門科目でとった唯一の「可」だったと思います。あれから半世紀も経った今でも記憶に残る出来事になりました。
 老境に入り、すでに昔話として笑いのネタにしても良さそうな思い出を今回の学長短信に書くことになりました。言いたかったのは、学生諸君には、決して我が真似をしてもらってはならないということ。「反面教師」として捉え、学習は手抜きをせず、真剣に取り組むべきです。その一方で、これらの思い出から、教える側の姿勢に関して、私は思うところがあります。毅然たる態度と心のゆとりということです。両者の絶妙なバランスの中で学生の指導に当たることが教師には求められているように感じるのです。教師が発する一言や一つの行動で学生は伸びもするし、潰れもすることを絶えず意識しておくことが必要でしょう。その後の何十年も教壇に立つ中で、事あるごとに脳裏に浮かんだのは、この些細なエピソードなのです。定期試験が始まったこの時期に書いて見る気になりました。
 

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