【☆学長短信☆】No.44「認証評価で思い出したことなど」

 今月は本学にとって大変重要な月です。今年は7年以内ごとに受審することが義務づけられた認証評価を受ける年に当たり、11月18日~20日にはその実地調査団による本学訪問が予定されています。すでに自己点検報告書や関係の各種資料は認証評価機関に提出済みであり、その内容をめぐる実地調査団メンバーの方々との質疑応答が待っています。私を含めて面談に出席予定の面々は、緊張を余儀なくされることになります。

 振り返れば、大学に関する今日的評価制度の本格導入は1991年の大学設置基準の大綱化に際して、各大学による自己点検・評価の努力義務が決まったことに端を発します。1998年の大学審議会答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」の中では、多元的な評価システムの確立により、大学の個性化と教育研究の不断の改善を図るべきことが求められ、客観性・透明性の高い第三者評価導入の必要性も謳われました。第三者評価実施の主体として、既存の学位授与機構の改組による大学評価・学位授与機構が発足し、国立大学の評価ならびに設置主体からの要請を受けた公私立大学の評価を行うこととなりました。しかし、当初は画一的な評価になるのではとの懸念が強かった私立大学に限って、当分の間は評価を実施しないこととなったのを思い出します。しかし、世の中の大きな流れは、従来からの大学設置基準に照らした創設時点での「事前規制」一本槍に代わって「事後チェック」重視の方向へと動いており、2002年8月の中教審答申「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」につながって行きました。かくして、①設置認可の在り方の見直し、②国の認証する評価機関による第三者評価、③違法状態の大学に対する文科大臣による是正措置の三位一体の改革が推進され、2004年からは認証評価機関による第三者評価の制度が正式に発足したのでした。今年は制度開始から20年目の節目の年に当たります。この20年間を通じて、認証評価では「内部質保証」の考え方が確立されたようです。

 ところで、認証評価と言うと、私はちょっと変わった経験をしたことがあります。今を去る11年前の2013年、前職で定年1年前の頃、2月28日付けの書簡が届きました。発出先は中国教育部高等教育教学評估中心。つまり、中国の文科省の外局であり、わが国の大学認証評価実施の機能を果たす機関です。曰く、「この4月に全国規模での大学学士課程の教育の質に関するパイロット機関審査を実施する予定です。高等教育および比較教育におけるあなたの幅広い専門的知識に鑑み、謹んで2013年4月13日~19日に実施の○○大学の審査で外部審査団員を務めて下さるよう招請いたします。」とあり、往復の旅費や滞在期間中の一切の必要経費は負担するので、この審査プロセスに参加くださるよう、と結ばれていました。「幅広い専門的知識」云々は事実誤認も甚だしく、面映ゆい限りですが、中国の大学教育に長く研究関心を持って来た者としては、何とも興味をそそられる誘いでした。

 この招請を受け取った瞬間、咄嗟に頭に浮かんだのは、私が高等教育研究における師と仰いで来た故喜多村和之先生(学長短信No.6「後生・校正おそるべし」でも言及しています)にまつわる思い出でした。わが国の認証評価導入に際してモデルとなったのはアメリカのシステムですが、先生はコネチカット州の公立大学の実地評価団にオブザーバー参加の機会を得て体験されたことがあったのです。わが国での認証評価導入の動きよりずっと早く、1980年代の終わり頃の話です。2002年3月、上述した大学評価の議論がかまびすしく行われるようになった頃、日本私立大学協会の私学高等教育研究所での研究報告会で、喜多村先生は上記80年代の3泊4日のハードな経験を振り返り、「朝の9時から夕方の5時まで学内中を駆け回る。いろんな人とインタビューをする。そして、アポイントメントが次々決まっておりまして、それで帰ってくると、ホテルで食事が終わった後に、延々と夜中までディスカッション。そしてまた、翌日、というふうに同じような日程で、3泊4日ぎっしりやります。私はただオブザーバーですから、ただ聞いているだけでいいのですが、それでも疲労困憊いたしまして、日本に帰ってきたら体重がすっかり減ってしまいました。」と述懐されています。(https://www.shidaikyo.or.jp/riihe/book/series/pdf/11kitamura.pdf

 先生に少しでも近づきたい、そんな思いもあったのでしょう。私は身の程知らずにも、中国からの招請を受諾したのです。実地調査に先立って、まず北京で個別の事前研修を受けたのですが、示された大量の関連文書を前にして早くも自らの軽はずみな決断を悔いたものです。しかし、今さら後へは引けません。ちなみに、私以外の外国人の外部審査団員については、やはり中国教育研究者でChina’s Universities 1895-1995: A Century of Cultural Conflict他の著作のある畏友、トロント大学のルース・ヘイホー教授の名前を耳にしました。ただ、それが実現したか否かは彼女に確かめていません。さて、どうにか北京での事前研修を終えた後、4月15日に教育部の担当者とともに評価対象大学の所在地まで空路移動し、案内されるままに車に乗り込みました。大学にずらりと横付けされた黒塗り高級車の車列は、これから始まる任務の厳粛かつ重厚さを感じるのに十分でした。加えて、高級ホテルと見紛うばかりの、豪華な大学ゲストハウスの一室が準備されていました。なにしろ評価団のメンバーに名を連ねておられたのは全国各地の大学の党委員会書記や学長だったのです。

 それからの3日間、施設視察はもとより、授業参観や卒論を含む各種文書の閲覧、教員・学生へのインタビューが続き、夕食後にも調査団メンバーによる議論が続きました。この間、見た目は同じ東洋人で変わるところがない私ですが、少しは気を遣ってもらっても良かろうなどというのは甘い考えで、「ゲスト扱い」は一切なし。これが中国かと再認識したものです。一番大変だったのは最終日の日程に組まれていた調査大学の首脳部をはじめ関係者の前で調査団メンバー一人ずつが行う講評と質疑応答でした。前日の夕食後から翌日の明け方近くまで、ひたすら自分の考えをまとめるのに集中しました。未だ自動翻訳機や生成AI普及前の時代です。苦心の末に書き上げた1,671字の原稿を基にどうにか役目を果たしました。帰国後5日以内に、「3,000字前後で、調査期間中に見聞した教学に関する肯定すべき点、改善を要する点、さらに改革提案をまとめよ」との規定に従い、今も手許に残してある3,190字からなる正式報告を書き上げて北京に送信し、貴重な経験を終えたのでした。

 この中国での大学評価への参加経験もその例ですが、何か公式の発言や発表を求められたとき、自分に言い聞かせるのは、外国語でもやれたのに母語の日本語でやれないはずがないという考えです。間近に迫った本学の実地調査もその気持ちで臨もうと思っています。

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