【☆学長短信☆】No.43「小さな日尼交流」

 先月、月初めの学長短信発信の務めの後、海外出張に出発しました。長くアジアの教育や開発問題を研究対象にしてきた関係から、調査や会議でかなり頻繁に各国に出かけていたのと打って変わって、学長に就任して以来は海外渡航から全く縁遠くなっていました。コロナ禍のせいもあり、2019年の年末に出かけたマレーシア調査以来、4年半ぶりでした。
 今回の目的地は、標題に「日尼」と書いたとおり(「尼」は漢字表記の「印度尼西亜」を一文字で表す)インドネシアでした。出発日の日曜日には、もともと土日で教育懇談会が予定されていましたので、午前中の挨拶直後に近場の広島空港から上海経由でバリ島のデンパサールへ向かうルート選択をしました。ところが、ノロノロ台風の10号に日本中が翻弄され、本学でも週末の教育懇談会は延期になり、2日の彼の地での用務に間に合わないようなら、今回の出張全体を取り止めざるを得ない危うい状態でした。ところが、出発当日になると幸運にも台風は東へ去り、快晴の夏空が戻りました。ただ、台風の余波か、機材到着の遅れから上海での乗り継ぎ時間が極端に縮まり、予定の乗り継ぎ便に間に合わない可能性もあることを搭乗直前に告げられました。ハラハラしどうしの旅立ちとなりましたが、出発から約12時間余り後の日付が変わった頃に到着した目的地の空港では、訪問大学の先生が深夜にもかかわらず出迎えて下さいました。お蔭で異国の不案内な街で深夜にタクシーに乗る心細さを感じずに済みました。
 翌朝、今回最初の訪問先マハサラスワティ大学との大学間交流協定締結の調印式に臨みました。日本語学科など外国語学部を含む9学部から成るバリ州最大の私立総合大学の初めて訪れた本部キャンパスは市内の中心部に位置し、通学・通勤のバイクや車が所狭しと並んでいました。この日はバリ島研修に来ていた本学経済学部の学生諸君の研修最終日。同様に短期研修中の熊本学園大の皆さんや6カ国からのインドネシア政府奨学金受給留学生さんと合同の異文化交流会の日でした。会に先立ち、大勢の方々の前で本学との協定調印式が挙行されました。調印式や研修については経済学部による報告が本学ホームページのFUKUDAI Magに掲載済みですので、本短信ではそれ以外のことを記します。
2024.09.06【国際交流】インドネシアバリ島マハサラスワティ大学との大学間協定を締結しました
2024.09.06【国際経済学科】今年もバリ島研修に行ってきました!
 調印直後に行った挨拶では、わずか15分の限られた時間でしたが、事前に準備したスライドも使い、会場の多くの参加者の前で福山大学の素晴らしさをしっかりとアピールして来ました。本学の学生諸君はといえば、交流会において各人が分担し、一言ずつ英語で広島の紹介をしていました。こうした経験が、異文化や外国語に馴染み、グローバルな状況での国際感覚や人付き合いのセンスをより良く身に付ける契機になればと願ったことでした。
 その後、スカメルタ学長ほか大学幹部諸氏と今後の交流発展について意見交換を行いましたが、歓談の中で私には初耳の情報を得ました。学長はじめ何人かの方々の名前が「I Komang ○○」であることに気付き、同名の多さに触れた際です。これはバリ独特の風習で、階層や生まれ順で決まるとのこと。貴族や僧侶以外の男性の名には最初に「I」を、女性には「Ni」を付け、次いで出生の順に①WayanやPutu、②MadeやKadek、③KomangやNyoman、④Ketutを付け、最後に姓ではなく、いわゆる名前が来る慣習とか。王族や僧侶はまた全く別名ですが、上記の方々の場合は3番目の息子の○○さんを意味しています。第5子以降はまた最初から繰り返すのも面白い方法ながら、このルールも最近は崩れて来ているとか。私も日本のキラキラネームのことを持ち出し、名前談義で盛り上がりました。
 翌朝、早起きをしてバリの浜辺の美しい日の出を満喫した後、わずかな飛行時間で次の目的地ジョグジャカルタに移動しました。2017年に本学と交流協定を締結済みのジョグジャカルタ国立大学(Universitas Negri Yogyakarta、以下、UNY)が訪問先です。今回の出張の第一目的は上記の協定調印でしたが、個人的に長い付き合いのUNY訪問を希望し、一両日の滞在延長が実現したのです。急な訪問の予定を旧知の教授に告げると、せっかく来るなら是非とも話をと依頼され、ごく限られた準備期間でしたが引き受けることにしました。
 全国各地の教員養成系機関を意味するIKIPのジョグジャカルタ校と呼ばれた単科大学が強力な教育系に社会科学、理工、医薬などの分野を加えた9学部と大学院の総合大学に衣替えしたのがUNYです。訪問初日には、スポーツ科学分野で九州大学博士の国際交流担当ソニ・ノーベンブリ副学長と会って両大学の交流発展について意見交換を行い、また職業学部(Fakultas Vokasi)を訪れ、学部長ほかと交流の在り方に関して語ることができました。
 翌日、教育系の100名余りの修士・博士課程の院生や先生方の前でUNYと私自身との約半世紀に及ぶ交流や福山大学の概況について説明した上で、訪問前の依頼に基づき、私の専門分野である比較教育学の研究方法論に関連したフィールドワークの効用を中心に「Retrospect and Prospect of Comparative Education in Japan:Consumer or Producer?」と題する特別講義を行いました。
 少し昔話をさせて頂くと、1970年代の半ば、おそらく戦後の日尼教育協力の草分け的な事業として二人の留学生が広島を訪れました。その頃大学院生だった私は二人と机を並べて学びましたが、その一人が後のUNY教授・教育学部長ソディック・クントロ氏でした。留学修了後も同氏の来日時や何度かの私の訪問時など折に触れて親交は続き、2012年にはUNYで開催の国際会議に講演者として招待されたこともありました。この縁は彼の教え子で現在の教授陣に引き継がれ、本学との交流につながっています。そのソディック教授ご夫妻が先年、不帰の客となられていたものですから、機会があれば是非とも墓参りをしたいとかねがね思っていました。今回、隙間時間にその願いが叶い、ご親族とも再会できました。
 ところで、今回の特別講義で少し心に残ることがありました。会場に入った瞬間、最前列にいた院生とおぼしき人によって多少場違いな大声で歓迎の意が表されたのです。2時間ばかりの話の後、参加者からの活発な質問で予定時間をかなり越えてしまいましたが、最初に質問の口火を切ったのはさっきの院生でした。質問内容は、自閉症の学生に対する福山大学および日本の大学での扱いに関するもので、きちんと分かる英語でした。当日の講義テーマとは少しズレてはいましたが、私はできるだけ丁寧に知る限りの情報と私の考え方を話しました。おそらく彼自身が最も関心のある事柄であり、TPOなど考える余裕がなかったのでしょう。発達障害を抱える学生は他人事ではありません。UNYは既に大学院に正規生として受け入れて教育を行っているのです。教育学や心理学の強い大学だけのことはあると、その多様性や包括ないしインクルージョンへの配慮が窺える先進的実践に感心したことでした。来年には心理学部が独立設置されるとのことで、本学心理学科との交流推進を要望されました。さらなる交流の進展を願いつつ、同日夕刻の便でジャカルタを経て羽田に向かう帰国の途に就き、駆け足旅行を終えることができました。

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