【☆学長短信☆】No.32「最近の恵贈書から想いつくままに」

 暦の上では夏が終わる頃、1冊の恵贈書を拝受しました。三好信浩著『教育観の転換-よき仕事人を育てる』(風間書房、2023年刊)です。著者は広島大学教授や比治山大学学長を務められた教育史研究の泰斗です。長年にわたる教育学研究の総決算として、著者の思いの丈が記された本書において、教育の目的はさまざまに捉えることが可能ながら、究極的にはすべからく「よき仕事人」の育成を目指すべしと説いておられます。

 私は何年か前まで本学で担当していた教育原理の授業で、学期初めの頃の内容として「人間とは何か」という問いを立て教育の重要性を論じたことがありました。すなわち、人間が動物の一種であり、直立で二足歩行すること(Homo erectus)は自明として、人間の特定の面に着目して捉える他の分類をそのラテン語表記と共に挙げていました。「英知人Homo sapiens」「工作人Homo faber」「言語人Homo loquens」「政治人Homo politicus」「経済人Homo economicus」「宗教人Homo religiosus」「芸術人Homo artex」「遊戯人Homo ludens」などです。「ヒト」(homo)は教育を通して「人」(human)になることを講じる一環でしたが、本恵贈書の基本コンセプトである「仕事人」は、人間の活動や特性のある一面を切り取ったものではなく、それらを包含した上位概念と考えてあるのだろうと理解しました。

 この考えに到達されるまでに、三好先生は実に多くの書物を出版して来られました。若き日は『イギリス公教育の歴史的構造』や『教師教育の成立と発展―アメリカ教師教育制度史論』などの著書に見られるように欧米教育の歴史研究に取り組まれていましたが、後に職場の所属が日本・東洋教育史講座となるや、次々と日本関連の研究業績を世に問われました。工業教育成立史、農業教育成立史、商業教育成立史、師範教育史、さらにそれぞれの職業分野のその後の発達史や産業教育にまつわる人物史など、恵贈書の巻末に掲載の単著だけのリストを見ても実に29冊。しかも、卒寿を越えても、研究成果刊行の意欲に衰えがありません。東西交渉史も含め、まさに洋の東西の教育の歴史に通暁され、仰ぎ見る存在なのです。

 ファーストオーサー、つまり筆頭著者は特別の扱いながら、何人もの研究者による共同執筆がごく当たり前の理系の論文や著書と違い、私自身の分野を含む文系の多くの分野では単著であることが重んじられ、共著論文などは単著ほど価値あると見做されないところがあります。少なくとも私が教育・訓練を受ける中で自然と身に付けてきた印象はそういうものです。文系は研究者個人の深い思索こそが大切で、その結果が論文や書物に結実すると考えられるからかもしれません。しかも、上記の著作群は、そのごく一部を写した次の写真に見られるように、いずれも浩瀚なのです。わずかな単著や個人訳書だけで息切れ状態の私など到底足下にも及びません。就職のために博士課程を1年残して切り上げた私が、後に中国高等教育の原型が形成される過程で内外から受けた影響関係を考察した博論を書き上げ、三好先生にこそ評価してもらいたいと論文博士号の審査の主査をお願いした所以です。

 ところで、三好先生については、事のついでに是非とも触れたい写真があります。いつぞやお宅にお邪魔したとき拝見し、感動の余り写真を撮らせて下さるようお願いしたものです。一見すると、小さな虫か何かの集まり、あるいは海苔で巻いた「おかき」のようにも見えますが、実はごく短くなった鉛筆なのです。最近でも使われるのかどうか知りませんが、少し短くなった鉛筆を使い続けるための延長ホルダーに入れて、本当に最後の最後まで使ったものです。倹約と言えば、これほどの倹約はないでしょう。おそらくこんなになるまで鉛筆を徹底して使い込まれ、次々と新たな作品を生み出されたのでしょう。ワープロやパソコンが登場し、再考や修正が比較的容易になったのをよそ目に、今日までずっと、じっくりと思索を重ねた上、手書きでびっしり書かれた大作の原稿が目に浮かびます。

 研究における自らの怠惰を戒めるのに、これ以上の写真はないと大切にしています。また、自分のことはひとまず棚に上げさせて頂き、文系はもとより、理系も含めた本学の教員の皆さんに、研究に対して、こうした貪欲なまでの意識を持って頂きたいのです。福山大学は本学教員による学術図書の出版に対して大学独自の助成金を設け、さらに優れた研究成果の国際学会での発表のための海外渡航費や在外研究の補助も行っています。大いに誇りうる研究支援措置です。とくに春秋に富む皆さんが、これらを十分に活用して頂きたいのです。

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