【☆学長短信☆】No.31「職員のリスキリング」
やたらとリスキリング(Reskilling)なる言葉が目につき、耳に入ってきます。私など、聞き慣れないときには冒頭の「リスキ」が耳に残って、危険を意味するRiskと「キリングkilling」いう単語から危機対策か何かに関わる事柄をとっさに連想したものです。しかし、大違い。技術・技能を意味する「skill」に繰り返しを意味する接頭辞の「re」をくっ付けたことだと知りました。職業能力の再開発・再教育のことを意味し、とくに企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)戦略において、新たに必要となる業務・職種に適応できるように、とくにAIなど新技術が浸透する中で目下従事している仕事が必要なくなる事態への対処法として、従業員が知識や技能を再習得することの意味です。最近、この言葉にしてもDXにしても、何が恰好いいのか、外来語をそのまま使ったり、略語が溢れたりしているのが気になります。言葉というのは何度も人口に膾炙しているうちに自然に定着していくものかも知れませんし、カタカナという便利な文字があるために、却ってつい横文字をそのまま使いがちなのでしょう。しかし、かつて幕末から明治にかけて西周をはじめとする先達が巧みな漢語表記をいくつも考案し、経済、科学、資本、哲学等々、本家本元の中国に逆輸出した歴史を忘れてしまったのでしょうか。その点、今日の中国は頭文字に限らず、外来語をひとまず漢字語に直していることには感心します。本題のこの言葉も「再培訓」と表記するようで、日本人が一目見れば、上記の私のような勘違いは起こらないでしょう。
さて、リスキリングに話を戻して、この用語は欧米では2015ないし16年ぐらいから広まったそうですが、わが国では2020年11月に日本経済団体連合会(経団連)が発表した「新成長戦略」や、2021年から2022年にかけて経済産業省が開催している「デジタル時代の人材政策に関する検討会」において、失われる雇用から新たに生まれる雇用へと労働力を円滑に移動させる方途として、一挙に注目を集めるようになったようです。そんな時流に乗りたいのではありません。従来からその重要性が唱え続けられて来た、ユネスコが1960年代半ばに提唱し始めた生涯教育ないし生涯学習、さらにOECDが学習期→就労期→学習期という循環の意味でかつて打ち出したリカレント教育の観点から見ても、われわれが学び続けることはいつの時代でも大切でしょう。また、大学というのは職場として特別な価値や条件を有する場所と、私は前々から考えていました。外部に何かを学びに行かなくても、身の回りにたくさんの面白い学びの対象が溢れているのです。この優れた労働環境を利用しない手はないのです。そこで、事務局に頼んで職員の意向の簡単な問い合わせを行ったところ、やはり事務スタッフの中に情報や語学や書道など、職務に関係するような内容について本学で開講されている授業を受講したいと考えている人の存在が分かりました。勤務時間中に持ち場を離れて学生と一緒に受講するのですから、周囲の同僚の了解を得られるか、雇用関係に差し支えないかなど考慮すべき点もありましたが、いずれも対応可能と分かりました。それなら「善は急げ」です。早速、実際の手続き等を盛り込んだ関係の規程を制定し、この後期から実行に移しました。
開始に当たり、取り敢えず事務スタッフを対象としましたが、「本学職員」のためのリスキリング研修です。職員の範疇に教員が含まれても当然良いと私は思います。私自身が出来るものなら学び直したいと思うことが少なくないからです。このことに関連して、ほろ苦い思い出が一つあります。まさに人生の僥倖で、大学助手としてアカデミックキャリアを歩み出したときの職場は、1970年代当時としてはわが国で唯一の大学教育を専門に研究するセンターでした。学生として在学していた頃から、関心のある授業については、例えば文学部の中国関係の科目等、他学部まで出かけて、ある時は担当の先生にきちんとお願いをして、ある時にはまったくの「もぐり」で授業に出席をしていたものです。当時は何も特殊なことではなく、よくある現象だったのではと思います。学びたいことを自由に学ぶ、それが大学です。その頃のことですから、受講しうる科目数の上限を制限するキャップ制などなく、また単位を取得するかどうかなどは意識の上で二の次で、とにかく自らの興味関心に沿って、卒業要件には関わりなく、いくつかの授業に出ていたものです。結果については、良くも悪くも自己責任、実に牧歌的な時代でした。
そんな「もぐり学生」のクセがあったもので、助手になってからもこっそり潜り込んだ授業がありました。コンピュータのプログラミングに関する教養科目でした。ところが、この担当の先生の話が実に分かり難く、教えようという誠意が感じられなかったのです。自分自身の理解力の悪さに起因するところが大なのでしょうが、周囲の年若い受講生に聞いても同じ考えでした。狭い経験知だけから誤解を恐れずに言えば、自らひとかどの専門家を任じている人の中には自分がよく分かっている分だけ、出来の悪い学生がなぜ、どこで躓いているのかに無頓着なケースがあるようです。相当に我慢して付いて行こうとしましたが、ある日とうとう大教室にもかかわらず挙手をして、教え方の問題点について厚かましくも指摘したのです。結局、プログラミングをものにすることはできませんでした。若気の至りを恥じる気持ちもありますが、授業というのは、常に教員と学生との間の緊張関係の中で進められるべきだと信じています。いくぶん年配で経験を積んだ人や外国人学生、また学びたいという意欲だけで繋がった人がそこに居るだけで、ある種のピリッとした雰囲気が教室の中に生まれるように思います。
ついつい昔話まで書いてしまいましたが、学びの場である大学という、一般企業とは異なる優れた特性が最大限に活かされ、本学が学習意欲に溢れた職場になればと思います。個別具体の知識や技術の習得もさることながら、その過程を通じて、人が変わることこそ大切なのです。その呼び水として、新たに発足した本学のリスキリング研修が想定外の良い効果を生むことを期待しているのです。