【☆学長短信☆】No.26「言論の自由を謳歌できる幸せ」

さまざまな決裁文書に混じって、回覧用の各種の出版物が回ってきます。閲覧後に押印して次の部署に回すのですが、そうした回覧物の一つに『週刊 文教ニュース』があります。昭和44年(1969)の創刊以来、わが国の文部科学行政(教育、科学技術・学術、スポーツ、文化)の最新情報を発信してきた冊子です。 

ちなみに、同誌創刊の頃、全国的に大学での各種の問題に対して学生が糾弾の声を上げ、抗議行動に出るようになっていました。早稲田の学費値上げ反対運動、つい先般もかつてと同じようなことが起こった日大での経営者の財務管理不正の摘発、東大での事実誤認に基づく学生処分の撤回要求など、直接の原因はさまざまでした。しかし、要約しうる学生側の主たる要求は、大学教育の改善、大学管理への学生参加に加えて、今日ではほとんど想像すら難しい主張になりましたが、産学協同体制の否定も含まれていました。学内の擾乱に端を発した運動はやがて学外に及んで過激化、政治運動化し、主張を異にするセクト間の内ゲバ、つまり暴力的衝突が起こり、収拾困難な状況に陥りました。日本国内に留まらず、米仏など各国でも同様の動きがあったのも当時の特徴でした。こうした状況の中で、わが国の教育史上はじめて、昭和44年には東大と東京教育大(現筑波大)の入試が中止になりました。この決定に当時の文部省高等教育局長として中枢で関わり、退官後に本学創設の立役者となったのが宮地茂名誉総長でした。 

創刊年がたまたま自分の大学受験の年に当たり、当時の社会情勢の記憶は鮮明で、つい横道に逸れましたが、冒頭の冊子の創刊もそうした時代背景と無関係ではないでしょう。同誌の掲載内容は、文教政策の新動向、文相をはじめとする関係者の動静や意見、文科省および国立の教育・研究機関でのイベント紹介など毎号盛り沢山です。かつての勤務先や関心のある機関・内容に関する記事だけは注意して目を通しますが、多くは斜め読み。しかし、毎号欠かさずしっかりと読む頁があります。「文部科学時評」と題する巻頭の言葉です。ペンネームで執筆されるエッセイは、おそらく文科省スタッフの手になるものと思われます。 

この欄の記事は実にウィットやユーモアに富むものが多いのです。私が熟読する所以です。その中でも、いつぞや目にして、短信で触れて共有したかった記事があります。「仕事だから」と題するその記事は、「民間企業の人は窮屈だ」という書き出しでした。「本心では他社の商品の方が良いと思っても、自社のものこそ一番だと言い張らなくてはいけないし」として具体例を述べた後、「それに比べ国の職員は自分に正直に生きられる。私の心がいつまでも美しいのはそのためだ。ただし純度100%ではない」。このくだりには思わずクスっと笑ってしまいました。以下、書き留めておいた所々を引用して見ましょう。 

「本当はオリンピックはどちらでも良かったしそもそもバッジなど嫌いだが勤務中は免罪符として誘致のバッジをつけていた」 

「他局の仕事となると意見を言う機会もないし、なんだか分からないままに“文科省の方針で進んでいく」 

GIGAスクールやデジタル教科書は効果の検証もないのに結論ありきで強引だし、更新時の費用でもめるのが確実なのに無責任だなぁと思うが、表では必要な施策ですと公式見解を言うことにしている」 

「こちらからあちらへ異動した途端にコロッと言うことを変え“あちらの人”に変身する人もいる。実に見事だ。一瞬で顔が変わる中国伝統芸能“変面のようだ。私のような不器用な人間には真似できないが、これが“未知の変化に対応できる“生きる力”なのだろうか」 

「人は立場によって言うことが変わる。学生時代ろくに授業に出ず遊んでいた人が大学行政の担当になると、日本の大学生はもっと勉強しろなんて真顔で言う。・・・・なぜか。それが仕事だから。」

「責められた時の言い訳は決まって“仕事だから。そう、仕事を言い訳にすれば、胸を張って変節できるのだ、この国では。」 

実に率直で、胸のすく思いです。子どもに対して「ウソは泥棒の始まり」とか、「正直に生きなさい」と教えるのが憚られるような、政治家や官僚の言い逃れ、虚偽的発言にウンザリしている昨今、上述の内容自体に大いに惹かれるのですが、それ以上に、それが許されるわが国の自由度を誇らしく感じるのです。機会があれば執筆者に是非とも会ってみたいくらいです。どこかの国では、反体制的な発言によって地位や命さえ危うくなることを思うと格別です。同時に、このように言論の自由を謳歌できる状態が決して変えられることのないよう、周囲の小さな変化にも常に注意深く、警戒心を怠らないようにしたいものと考え、書き残すことにしたのには理由があります。日本の大学に在学する香港出身の女子学生が帰省した際、日本でのSNS上の発言を理由に拘束された上、パスポートを取り上げられて日本に戻れない状況にあるというニュースが飛び込んで来たのです。イギリスからの香港返還に際して「一国二制度」を自ら提案しておきながら平気で踏みにじる政府が背後にあり、蜘蛛の巣のようにはりめぐらされたネット社会では、地球の裏側からでも発言が見られる時代です。とくに、わが国で学ぶ留学生に降りかかった厄災なのです。決して他人事ではありません。民主主義社会で普遍的に重んじられるべき言論の自由という真理へのいかなる挑戦にも無関心、無頓着であってはならないと思うのです。 

この記事をシェアする