【☆学長短信☆】No.18 「マハリシ・ヴェーディック大学のこと」
以前の学長短信で、年末になると集中講義に出かけたものだったカンボジアの教育行政官のための大学院(MEA)について書いたことがありました。今回はもう一つの印象深いカンボジアの大学に触れてみたいと思います。
クメール・ルージュないしポル・ポト政権下の恐怖と暗黒の時代が終わり、国の復興を急ピッチで進めていた頃のカンボジアでは、大学と言えば国立大学、それも王立プノンペン大など9校と、ごく少数でした。これらの国立大学について見れば、教育省管轄の大学以外に保健大学、農業大学、王立芸術大学のように当該行政分野を担当する省庁が所管する大学もありましたが、1校を除いて残りが全て首都のプノンペンに置かれていました。また、カンボジアで最初の私立大学であるノートン大が設置されたのが1997年。以来、海外からの支援も受けて、私立大学が雨後の筍のように増えていき、10年足らずで28校を数えるほどになりましたが、これらの私学もまた初期にはとくに、ほぼ首都に集中していました。国立大学で唯一の首都以外にあったのが、今回取り上げるマハリシ・ヴェーディック大学(以下、MVUと略記)です。
取っ掛かりは、何か異国情緒の漂う、つまりインドの大学かと見紛う校名でした。確かにインドには似通った名前の大学が1995年に創設され今も続いているようです。また、米国のアイオワ州にもインド哲学のヨーガや聖典「ヴェーダ」に連なり、マハリシの名を冠する大学が実在します。一方、カンボジアのMVUは同国教育省とカンボジア支援オーストラリア基金会(AACF)の共同企画としてインドより早い1991年に創設され、カンボジア政府が選任した管理職と外国人専門家・アドバイザーによって運営されました。メインキャンパスの所在地はプレイ・ヴェン州の12の郡の一つ、カムチャイ・メヤ郡です。首都プノンペンの北東110キロくらいのところに位置しており、私が最初に訪れたのは2002年の暮れ。途中大河メコンをフェリーで渡って向かいました。舗装されていた道は少なく、フェリーを降りてから頑丈そうなSUV車で進んだ赤土の道は、何しろ雨で表土が流れて穴だらけだったり、路肩が崩れたりしたデコボコ道ですから、車の天井に頭をぶつけないように相当注意しないといけないほどで(一度はシートベルトを付けておらず、実際に頭をぶつけてしまう始末)、尋常な揺れでなかったことを鮮明に覚えています。
首都の王立プノンペン大などに比べて、次に掲げる写真のように、お世辞にも立派とはいえない学生寮(しかし、そこでも学生は屈託なく、元気そうに暮らしていたのが印象的でした)や、いくつかの教室棟を見て回り、授業も参観しました。
教室で強く印象に残ったのは、オーストラリアから派遣された教員による講義の内容を同教員の脇に立つ通訳が逐一クメール語に翻訳し、聴講している学生は一心不乱にノートを取っている様子でした。その時、とっさに脳裏に浮かんだのは、おそらく明治初期の日本でも、今までまったく知らなかった西洋の学問を西洋人教師から学ぶために、通訳を介して必死に学ぶ大学生の姿があり、恐らくこういう状態だったのではないかということでした。ちなみに、明治日本では、やがて日本人が主に海外留学という手段を通じて、そうした「お雇い外国人」に取って代わって行きます。その過程は膨大な史料を駆使した天野教授によって明らかにされています(天野郁夫『日本のアカデミック・プロフェッション―帝国大学における教授集団の形成と講座制―』(『大学研究ノート第30号』広島大学 大学教育研究センター、1977年)。
さて、その次に私がこの大学を訪れたのは2011年2月25日。再訪までの10年近くの間に大学は発展し、校名も2008年に以前の外国の大学を思わせる名前から、長くカンボジア人民党の党首や元老院議長等を務めた大物政治家の名前を冠したチア・シム大学に改称されていました。同時にオーストラリアのAACFが提供していた運営資金面と人的な支援が公式には終了し、純然たるカンボジアの国立大学としての歩みを始めていました。
この再訪時に対応して下さったのがセット・カーン(Seth Khan)氏で、当時は企画・財務担当の副学長の肩書きでした。「実は私は以前に貴学を訪問したことがあり、その時にオーストラリア人の先生の講義を逐一通訳している人がおられたのを見たのがとても印象的でした」と話すと、セット副学長の口から飛び出したのは何と「それ、私ですよ」という言葉。一気に長い時の隔たりが縮まりました。あれからまた10年あまりが経ちました。
現在、チア・シム大学のホームページで確認すると、施設・設備の相当な充実が見られるとともに、セット氏は同大の学長に就任していらっしゃいました。遠く離れていても、メールという便利な手段で、早速我が身に起こった環境の変化をお互いに確認し合い、旧交を温めることができました。マーケティング、会計、人材管理などを内容とする経営学部と、作物栽培学、農村開発、天然資源管理などからなる農学部、それに医学部の3学部構成で、在学生数は約5,000人の大学になっています。経済学、生命工学など本学の諸学部とも分野的に重なるところがあり、規模的にもほぼ同等のこの大学との間で、私の個人的な思い出や付き合いに留まらず、大学同士の連携に発展すればと心密かに願っているところです。