【☆学長短信☆】No.17 「8・6を前にして 」

また熱いヒロシマの8月がめぐって来ました。真夏の暑さだけでなく、人類史上初めて原子爆弾の被爆を経験した地として、平和への誓いを新たにする思いがたぎるからでしょう。75年は草も木も生えないと言われた土地でしたが、見事に甦って発展し、18歳の私が最初に足を踏み入れ、爆心地からほど近い街で暮らし始めた昭和44年(1969)には、すでに緑あふれる都市になっていました。それまで原爆の被害について余りにも無知だった自分を恥じながら、幾度となく平和記念資料館にも足を運び、少しずつ理解を深めて行きました。しかし、聴くところでは、広島の子どもたちの間でも86日、午前815分という日時の意味に無頓着な子どもが増えているとか。残念なことです。 

んなことを考えながら、確かまだ持っていたはずだと書斎の書棚を見回していたら、大江健三郎著『ヒロシマ・ノート』(岩波新書、1965年刊)が見つかりました。ところどころに傍線を引いていて、おそらくかつて真面目に読んでいた形跡が見られ、思わず同書を読み返すことになりました。 

自らも被爆しながら、爆発直後から乏しい薬剤を使って被爆者救護に当たられた重藤文夫広島赤十字・原爆病院長、同じく広島文理科大学在職中に被爆し、片目が不自由になりながら、その後の生涯にわたり原水爆禁止運動の先頭に終始立たれた哲学者の森滝市郎教授など、大江の言葉を使えば、「もっとも人間的だと感じる性質の威厳」を備えた人々が何人も登場します。また、私が若い頃に中国関係の資料を拝借するなど、直接お世話になったことのある東洋史学者の今堀誠二教授が、広島においてさえ当時から、原爆被害に対して人々の意識の上で「凪」のような「中だるみ」が起こったことへの鋭い警鐘を鳴らしておられた記述が同書に含まれていたことも思い出しました。 

毅然たる態度ゆえに「人間の威厳」を感じさせる幾多の人々の逸話が語られる一方で、「鈍感さ」への痛烈な批判が本書には記されています。すなわち、戦況が膠着状態にあった朝鮮戦争について、「原爆を23発落とせば、戦争は終わるが」と発言して憚らなかったアメリカの通信社の東京支局長。原爆投下作戦に参画した米空軍参謀総長に20年後に勲一等旭日大綬章を授与した際、叙勲の意味を「恩讐をこえて勲章を授与したって、大国の国民らしく、おおらかでいいじゃありませんか」と語ったという政府の責任者の「鈍感さ」を、「すでに道徳的荒廃である」と大江は嘆いています。 

ところで、今年は86日の意味を、そして核兵器に対する我々の認識について改めて真剣に考えることを格段に迫られているような気がしています。ロシアによるウクライナ侵攻の中で、戦略核ではなくとも、破壊規模の点ではかつて広島で炸裂した原爆レベルの、被害地域を限定した戦術核なるものの使用可能性が取り沙汰されたからです。常軌を逸した行動を平気でとる者がいる現実を見せつけられてからは、そうした可能性もあながち的外れではないと感じていました。そんなとき、ロシア・ソ連史の専門家である和田春樹東大名誉教授の次の言葉にハッとしました。すなわち、米国もロシア(その前のソ連)も「核武装した大国は戦争をおこしても、罰せられることはなく、戦争を繰り返す」し、「日本は米国の核の傘によって守られていることになっているが、核武装大国同士は戦争しないとしても、核武装国の戦争は誰かが核兵器をもっていても防げないことがウクライナ戦争でわかった」(『中国新聞』202278日付け)という指摘です。また、6月下旬にウィーンで核兵器禁止条約の締約国による第一回会議が開催された際、広島市長や県知事、さらに被爆関係者をはじめとする人々の願いもむなしく、わが国はオブザーバー参加を見送りました。 

かつて1981年に平和公園を訪れた当時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世の「戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。」という日本語で語られた言葉を改めて重く受け止めるべきでしょう。唯一の被爆国として、核兵器の廃絶や平和構築、そのための本当に「橋渡し」となるためにどうすれば良いか、とりわけ被爆地近くにある大学として、決して他人事ではなく、我々は何が為し得るか、上述した「威厳」とは何かを考えたいものです。県の東部に位置し、爆心地からの距離もあって、日頃は切実に感じる機会が相対的に少ないとはいえ、例えば海外に出て、日本のどこから来たかを話す場面に出くわしたとしましょう。日本で東京の次に知られているのはおそらく広島でしょう。文明史的意味のあるヒロシマの地に所在する大学に、縁あって所属している事実を、8・6を前に今一度考えてみてはどうでしょう。そう言えば、昨年の平和記念式典で子ども代表が読み上げた「平和の誓い」で、「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです」と語っていたことが頭から離れません。さまざまな立場や「しがらみ」から、必ずしも自らの思いを率直に語れない大人と違って、子どもの素直な思いに耳を傾けるのが楽しみです。それ以外にもどんな挨拶が聞けることでしょう。今年の式典はちょうど休日に当たります。ウイルス感染防止に最善の注意を払った上で、足を運んで見ては如何でしょう。 

この記事をシェアする