【☆学長短信☆】No.9 師走に想う ~MEAのこと~

 今年も残すところあと1か月。時の経つのが実に速く感じられます。この時間の感覚に関しては、生涯のある時点における時間が主観的に記憶される長さは年齢に反比例する、つまり60歳の人にとっての1年は6歳の子どもが感じるのに比べて10倍速く感じられるという、19世紀フランスの心理学者ポール・ジャネーが提唱した法則があるそうです。「時間の心理学」の専門家である松田前学長が、この法則に関する解説者として、「トリビアの泉」という2000年からの約10年間にわたり人気を博したTV番組に出演された時の様子を以前に拝見して知りました。 

  さて、師走になると懐かしく思い出すのは、カンボジア教育省の下に置かれた教育行政官のための政策大学院(MEA)のことです。集中講義を行うために、何年か前まで年末に10日ずつプノンペンに出かけていたのです。この大学院はカンボジアを中心に途上国の教育支援を行う公益財団法人の国際NGO団体CIESF(シーセフ)が、教育の質向上には行政を司る人たちのレベルアップを図る必要があるという考えから、同国の教育省と協力して2012年に創ったものです。CIESFはこの他にも、教員養成学校への日本人教育アドバイザーの派遣、起業家育成のためのビジネスモデルコンテスト、日本語にも通じた将来のリーダーを育てる幼小中一貫校などへの支援を行っています。安倍晋三元首相による2019年の国連総会での演説の中で「国境なき教師団」として言及されたこともあります。 

  そもそも私とカンボジアとの関わりは、以前勤務していた名古屋大の大学院国際開発研究科で1998年の赴任直後からJICA中部支部と実施した共同事業に遡ります。暗黒のポル・ポト時代を経て平和を取り戻し、教育をはじめとする国家再建を図っていたカンボジアから日本に教育行政官を招き、1か月の研修を実施することに関わったのがその始まりです。教育省の幹部職員と当時は約30あった地方行政区画からの各1名に対して、10名ずつ3年間にわたり各種の研修を行いました。その際に知り合いになった方々の中には現在の教育省次官をはじめ各州の教育長も含まれ、短期間の「師弟関係」だったにもかかわらず、律儀に覚えていて下さり、後年の同国でのフィールド調査の折に種々の便宜を図って頂いたこともあります。 

    そんな経歴が認められたのか、上記CIESFの理事の末席をけがすことになり、とくに教育行政官大学院プロジェクトには立ち上げから関わりました。かつて研修で知り合った人もメンバーの大学院設置準備委員会で、管理運営システムから具体的なカリキュラムの編成、ほとんど全てが非常勤の教員の人選まで、真剣に議論しました。そのうち、開講科目の一つである比較教育行政学の講義はお前が担当せよということになり、集中講義で行うことになったのです。なにしろ在職中の教育行政官を中心とする社会人相手の大学院です。平日は勤務が終了する夕方の4時頃から夜の9時まで、週末は終日という授業時間がびっしり組まれました。かなりハードな仕事でしたが、学ぼうという熱意に溢れ、勤務の中での経験も踏まえて一瞬ひるまざるを得ないような質問をしてくる受講生と過ごせたのは、大学教育の醍醐味です。疲れなど忘れてしまいます。 

                  MEAでの授業風景 

 この大学院に固有の施設はなく、プノンペン大学などの卒業生に1年間の訓練を施して中等学校教員を養成する高等師範学校(現在は国立教育研究所National Institute of Education, NIEと改称)の施設を使っています。平日の夕方になると、NIE近くの定宿から途中のパン屋さんに立ち寄ってから授業に出かけ、授業の途中にとる休憩時間に学生が持ち寄った軽食も含めて、一緒にあれこれ話しながら夕食をとったりもしました。師走になると思い出すと上述したのは、この時期に追加する教材の仕込みを行ったりして出発に備えたものだからです。そして、正月は家族と迎えるために滑り込みセーフで帰国できるように、スケジュールを組んだのでした。 

 ところで、この教育行政官大学院の企画段階で私が主張し実現したのは、英語でなく国語のクメール語を教授用語とすることでした。カンボジアの大学には英語を教授用語とすることをセールスポイントにしているところもあります。しかし、学問の発展を考えるとき、借り物の外国語ではなく、自国語で関係概念を構成できなければ、とくに文化に係る学問の真の自立を達成できないと、私は堅く信じています。西周をはじめとする先達が明治初年に苦心の末、多くの西洋語の概念を漢字語に置き換えました。科学、経済、哲学、帰納、演繹・・・・等々、多くの和製漢語が中国に逆輸出され、日中両国の科学の発展に寄与したのは良く知られているところです。 

  しかし、クメール語には教育学に関しても多くの科学的概念の語彙が存在しません。そこで、授業を担当していた時期に、受講者の協力も得て、日・英・クメールの教育関係語彙集を試作したこともありました。また、私はクメール語などもちろんできるはずもありません。私が英語で行う講義を側でつぶさに通訳してくれたのは、かつて博士課程で指導し、学位取得後に現在カンボジア教育省に勤務するグォン・ソクチェンさんです。私が本務の関係で、年末に10日間もの時間をとることが絶対に無理になって、後ろ髪を引かれる思いで退任した後、この授業の担当を引き継いでくれているのは彼女です。 

         ある年の受講生と一緒に(前列右から2人目がソクチェンさん) 

 ちなみに、この大学院は設置以降の必要経費を含むCIESFによる全面的な支援の甲斐あって順調に発展し、運営も軌道に乗りました。支援の割合を徐々に削減して零に近づけた後も引き続き多くの卒業生を生み出しています。途上国援助の要諦は、被援助国による運営面の自立を最終的に実現することであり、その意味で、このプロジェクトは教育開発援助の成功事例に数えられると思います。 

 

 

 

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