【生物工学科】秦野教授のラオス通信#8 ルアンパバーンで象を見る
秦野教授のラオス通信も終わりが近づいてきました。 そもそもなぜ生命工学部ブログにラオス通信なのか?という事をおさらいしておきます。 福山大学はラオスの首都ビエンチャン近郊にあるラム酒製造会社Laodi社の敷地内に『ラオス醸造研修所』があり、そこでラオス海外研修を行っています。 前回の第1回は2019年12月に挙行され、新型コロナの影響で中断していましたが、今年(2022年)12月に第2回を開催すべく準備中で、その先遣隊として秦野教授がラオスに出張されておりました。 秦野教授は既に帰国しておりますが、書き残したことがたくさんあるとのことで、もう数回ラオス通信が続きます。 よろしければご覧下さい。 ※帰国されて時間が出来たので、段々大作になってきました。
第7日目(8/28)の続きの続きです。
ご紹介にあずかりました秦野です。 さて、ラオラオの村を出て、シハッタさんの提案で野生のゾウを見に行くことにしました。 村から少し走ったところに、ゾウの保護施設を兼ねたリゾートがあるのです。
ただその時ゾウさんがいるかどうかは、運まかせ。 リゾートの入り口に着いたのですが、その時はあいにくゾウさんはいませんでした。 まあそれでもメコン川沿いのカフェレストランで一休みしようと、進んでいきます。 すると・・目の前に母なるメコンが!!
この辺りはかなり上流なのですが、雨季で増水した川がなみなみと流れています。 ちょっとこれには感動しました。
Beer Lao でのどを潤しながら一休みしていると、対岸から小さな船が半分流されながらこちらにやってきました。
危なっかしいなとしばらく眺めていると、やったぜ!ちゃんとこちら側に渡ってきました。
メコンに生きる民は逞しい!!
象がいた
一休みしたので、ゾウさんはあきらめて帰ることにしてタクシーの方に戻ってきました。 すると・・な、な、何とラッキー!ゾウさんがいるではないですか!! 「そろそろご飯をくれないか」と、すぐ横の森から出てきたそうです。 「近寄っても大丈夫か?」とシハッタさんが尋ねると、「大丈夫だよ」と専門のゾウ使いさん(この時は2人)。
それでも恐る恐る近寄ると・・でかい! アフリカゾウよりは小ぶりですが、大人のこのゾウは高さ2.5m越え、3m近くあります。 重さは聞かなかったけど4tくらいはあるだろうと想像しました。 シハッタさんはちょっとだけ鼻に触りましたが、私はとてもとても・・柱の陰でただただ見ているだけでした。 いくら牙の先端を切ってあるといっても、またいくらゾウ使いがいて餌付けされているといっても、何てったて野生ですよ。 怒らせたら即・・死です。 と思ったのですが、お金を払えば機嫌のいいゾウさんは背中(首の上)に乗せてくれるそうですよ。 しばらくすると、一人で森に帰っていきました。
ゾウがいっぱいいる国という意味のラオスですが、乱獲や保護が不十分で、今では約800頭ほどまで減少しているそうです。 このリゾートは個人経営ですが、少しでも現金収入を得て、ゾウの保護を続けたいということで露店のジャグジー風呂付のコテージも経営していました。
寺院
ルアンパバーンの街に戻り、一番古いお寺を参拝しました。 私の聞き間違いでなければ1,600年前に建てられたのだそうです。 入口のところに、ルアンパバーンは「世界文化遺産&自然遺産」であるというユネスコの看板が立っています。 これが値打ちなんですよ(笑)。
シェントン寺院はもともと王様を祭るお寺で、古都ルアンパバーンの象徴のようなお寺です。
そして今でも敬謙な信者(というと昨今世の中を騒がせている話題にかかわる言葉なので、庶民としておきましょう)たちのお参りが絶えない大切なお寺です(ここのお寺はカメラを向けてもお参りしている人は嫌な顔をしませんでした)。
このお寺の人気スポットは表ではなくて、実は裏側の壁画なのだそうです。 幸せが実る樹が描かれていて、これをバックに写真に納まるというのが観光客のお目当てだそうです。 この樹のモチーフは壁紙をはじめいろいろなものにプリントされていますが、ここが発祥なのです。
王様の棺を乗せた船も祭られていました。 王の魂はこの船に乗って天国へ行く・・何んだかエジプトと共通点を感じます。
もともとルアンパバーンは旧王国の首都だったのですが、周りを山に囲まれていることで攻められやすく、結局メコンの大河を背中にしたビエンチャンに王家は引っ越ししていったそうです。
夕暮れ
夕日が沈むころ、閉店後なのにシハッタさんが無理やりオープンさせた(してもらった)レストランの屋上Bar に立ち寄りました。 ここから向こうの山に沈む夕日が一番きれいなのだと、シハッタさんから聞いてその方向を見ると、まさに今がそのタイミング! 山の稜線に沈む太陽がちょうど引っかかって・・神秘的な光景でした。
北の方を見ると何だかわからないけど結構高い塔が・・これは建設オーケイなのでしょうね。
右隣には丘の上の仏塔が見えます。 このレストランには明日訪問するスファヌボン大学の経済学部の学生が2人アルバイトをしていました。 そのうちの一人は日本が大好きで、日本に行きたくて日本語を習っていたけど先生が引っ越しちゃっていなくなったので、仕方なく今は英語を勉強していると話してくれて、「英会話でいいからぜひ日本おいでよ、言葉は後からでも大丈夫だよ」と伝えたら、すごく喜んで「元気が出ました。また日本にチャレンジします」と笑顔で返してくれました。 ちょっとうれしい気持ちになりました。
ナイトマーケット
夕食後、ナイトマーケットを散策しました。 結構な人出で、私はびっくりしましたが、コロナ前の半分以下だそうです。
確かに欧米人と思われる人たちの姿はほとんど見かけませんでした。 食べ物コーナー、ステージ、そして物売りコーナーと分かれていて、肩がぶつかるほどではないですがみんなぶらぶら歩いています。
マスク姿もほとんどありません。 東南アジアの多くの国はそうらしいですが、ここラオスでも、じっとしていては経済が回らないという考えです。
それでもみんな自粛して、9時には店をたたみかけていました。
私は、ベトナム戦争の時の不発弾のアルミニウムで作った、栓抜きやアクセサリーを買いました。
宿に戻る道に真っ赤なクラシックカーが停まっていました(ベントレーかな?)。 この街にはよく似合う車です。 シハッタさんが、ドアが開くかねえ・・と言って開けてみると・・すんなり開いてしまいました。 これ以上触っていると持ち主が怒ってきそうだったので、静かにドアを閉めて、ホテルに帰りました。 ※このクラッシックカーは、ホテル3Nagasルアンパバーンというホテルのものです。
第7日目は以上です。 明日は朝からスファヌボン大学に向かいます。 ちなみにシェントン寺院でおみくじを引きました。 なんて書いてあるかわからないのでシハッタさんに聞いたら、軽ーっく、「いいこと書いてあるよ」。 ほんまかいなとちょっと気になっています。 その写真、次回揚げますね(笑)