国際交流課
FUKUYAMA UNIVERSITY Education center
国際センター
趙 建紅(ちょう けんこう)
職 名 | 准教授 |
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学 位 | (文学)博士 |
専門分野 | 日中説話文学の比較 |
担当科目 | 日本語(1)、日本語(2)、日本語(4)、日本語(5)、1級受験日本語など |
メッセージ | 日本と中国とは一衣帯水の隣国であり、古くからさまざまな分野にわたって交流が行われてきました。民間の生活ぶり、風習、考え方などをよく表す説話の世界も例外ではありません。しかしこうした交流を伝来という一言で片付けることはできないのです。実際、たとえ中国説話の翻案とされる話しであっても、やはり伝承過程の中で次第に日本の風土に融合、変化し、時に予想を超える意外な展開を遂げます。そうした日中説話を検討することによって、両国における「ものの見方・考え方」を明らかにし、相互の文化理解を深めることにも寄与できると思います。 |
六朝説話と日本文学ー動物説話を中心にー
従来の説話比較研究では、説話の淵源資料及び伝承経路を最大の関心事とするため、樹形図的に論じられるのに止まることが多く、日中文化という角度から見た場合、ある種の物足りなさを感じさせることがありました。本論文は、従来の日中説説話に見られる語句や内容の類似点から伝承経路を探求考察していく観点からでなく、主題を同じくしながら、日中両国において異なる展開を遂げてきた動物説話(動物異類婚姻譚、動物退治譚、動物報恩譚)を比較検証しました。日中両国における人々の動物観、自然観を明らかにした上、儒教を始め、道教、仏教思想の受容の差異も窺うことができました。
国における「睒子」物語と「施无」(『三宝絵詞』)
『三宝絵詞』上巻圧巻の話し、つまり13話の「施无」は、文中に「菩薩睒経并びに六度集経に見ゆ」とあります。そこで、両者を比較し、編者の源為憲は、『佛説菩薩睒子経』及び『六度集経』より「睒子(施无) の孝養譚を取り入れる際、ある種の取捨選択を行ったことを明らかにしました。中国経典中の繁雑冗漫なる情景描写及び転生情報、理解しがたい「仁」に関する表現、或いは誤解を招きかねない神祇に対する呼び方など主題を弱めるような部分は切り離されました。一方、子が親に孝行し、親が子を慈しむような描写については、二部の経典より抜粋された上に、新たな独創も施され、物語性がより一層高められたのです。それは編者自身が「序」の中に述べられた著作の目的に合致したものと考えられます。また同話中、一番肝心な「孝行」に関する描写は、中国の経典2部においては描写が悉く異なり、興味深いところです。
日中における「亀の空中飛行」物語
「亀、不信鶴教落地破甲語」(『今昔物語集』巻5第24話)、「双雁、渴龟将去」(『注好選』巻下第10話)は、鳥によって空中を運ばれる途中で亀が「口を慎まないために」落下してしまうという物語です。実はこの話しは、世界各地に類話が分布し、中国にも六朝より幾たびとなく経典に編集され、綿々と伝えられてきました。比較によって、両国に伝わっていたこの話しは、骨子が同じでありながらも、伝える教義をはじめ、創作を施すところが異なっていることが分かりました。このように、一つの物語は様々な話素やモチーフに織りなされており、どこに目をつけるか、その視角によって話しは思いもよらぬ新たな様相や風貌を見せてくるのです。『今昔物語集』中の当説話に見られる、「亀と鶴の因縁」、「空から見た四季の眺めの美しさ」を説く部分は牽強付会とも言えますが、後世の『御伽草子』中の「浦島太郎」にも影響を及ぼし、改めて説話の生命力を感じさせてくれました。