人間文化学部

Faculty of Human Culture and Sciences

【人間文化学科】青木ゼミ前期研修旅行報告

【人間文化学科】青木ゼミ前期研修旅行報告

 6月29日(土)に青木ゼミで、市内の文化施設、史蹟を巡るフィールドワークを行いました。今回は、その様子を青木がお伝えします(投稿はFUKUDAI Magメンバーの古内)。

 


 青木ゼミでは、6月29日(土)に、市内の文化施設、史蹟を巡るフィールドワークを行いました。ゼミ3年生の他、2・3年生併せて11名が参加しました。事前の授業で井伏鱒二の小説「海揚り」や、その題材となっている備前焼について井伏の書いた文章を調べて、臨みました。

 今回の研修旅行では、井伏文学が題材にしている中世から近世、近代にいたる幅広い時代にわたる内容が含まれており、これまで調査してきた範囲を1日で体験するというものになりました。

Ⅰ 広島県立歴史博物館での研修

 広島県立博物館では、学芸員の岡野将士氏による解説によって、中世から近世にかけての福山の暮らしぶりについて展示を見学しながら知ることができました。

1,中世の暮らし―草戸千軒遺跡の復元展示と発掘物から

 草戸千軒遺跡は、鎌倉時代から室町時代にかけて芦田川沿いにあった町並みで、水底に沈んだままの形で発掘されました。芦田川の水運によって行われた交易の様子は、「兵庫北関入船納帳」によって記録された物流の状況によって知ることができるとの説明を聴きました。

 〈草戸千軒の復元展示を見学①〉

 復元された町並みにおいては、船から荷揚げされた品物が店先に並べられて売られる様子が再現されています。特に、一番手前の店は、備前焼を売る店で、大瓶などが並べられています。備前焼は、伊部で製造されて、そこから船で全国に運ばれていったのです。須恵器系の素焼きの焼き物で、高温で焼き締めるため、硬質で実用に使用されることが多かったようです。井伏鱒二も、作中にそのことを述べています。種壺、棺などを見ることができます。

 さらに、並ぶ店は、様々な商品を製造する職人の作業場兼商店であり、中世社会に出現した職人の営みを見ることができました。鍛冶屋、塗師屋、魚屋、八百屋などが見受けられました。

〈草戸千軒の復元展示を見学②〉                     

2,近世文化展示室―菅茶山の活動について

 菅茶山が開いた廉塾についても説明を受けました。菅茶山が住む神辺宿は、西国街道の宿場町で人流・物流の拠点として、いわば都会的な場所であり、そこには人心の乱れもあったとのこと。それを憂えた茶山は、ここに若者を教育する民間の塾として廉塾を創設しましたが、その永続的な運営のために、後に塾を藩に寄贈しました。藩でも、これを藩の公的教育機関、郷塾として利用しました。

 廉塾を通じて、菅茶山は地域の若者に教養を身につけさせ、その生き方を教えました。それは、次々と地域に継承されていき、全国から優秀な人材が集まり、地域の教育が進展しました。このことは、地域にそういう文化の種を植えることであったとのお話でした。

 また、茶山は、地域の文化人、画家や詩人の存在を中央に伝える、地域の広報役をにもなっており、地域の存在を全国に広めるハブの役割を果たしたと、別の面から茶山の業績が評価されました。

〈近世文化展示室で菅茶山に関する説明を聞く。〉

3,近世教育沿革史に記録された廉塾のその後

 廉塾の終焉について記録された原資料も閲覧しました。これは、明治16年5月に明治政府が行った全国的な郷塾に関する調査の際、各地域の教育施設から回答した公的文書で、茶山の孫の晋賢が、廉塾が明治5年まで存続したことを報告しています。明治5年は、明治の新しい学制が始まった年でもあります。

〈1F貴重資料見学の部屋で「教育沿革史」資料見学〉

 

Ⅱ 府中市立図書館での研修―疎開期の井伏鱒二と府中市出身の彫刻家・今城國忠

 井伏鱒二の疎開時代を回想する小説「海揚り」における戦中・戦後の府中市について、青木が解説しました。

 そこでは、戦前木工家具と鉄鋼製品の製造で経済的に豊かとなり、高い文化を持った府中市の存在を知ることができました。戦前までは、山の中にこそ豊富な資源を活かし、経済と文化の中心があったことを知ることができます。戦中・戦後の府中は、山奥の隠里として、桃源郷のような文化の花咲く豊かな地であり、都会から疎開してきた多くの文化人が集い、一種の芸術村を形成していました。それを府中市出身の女流作家・中山千茅子は「備後モンパルナス」と称しています。

〈府中市立図書館2Fに展示された今城國忠作「雪の朝」〉

 そこで、井伏鱒二は、後輩の芸術家にも出会っていました。その一人が彫刻家の今城國忠でした。今城は府中市出身で、木工職人を祖父に持ち、幼いときから木工に親しみ、木工技術を身につけ、目指す彫刻家として大成しました。井伏と今城は、お互いに芸術家として親交を結び、井伏の晩年までフィールドワークをともにする仲でした。いずれも、自然の生命力を表現するロマン主義作家として共通する部分があることを述べました。

〈今城作「解放」〉

 図書館2Fのフロアーに展示された今城の作品を見学し、特に「雪の朝」と入口に展示された青年像「解放」について、参加者の意見をワークシートに記してもらいました。

〈府中市立図書館前、「解放」の前で〉

 

Ⅲ 府中の料亭「恋しき」(国指定重要文化財)―井伏鱒二未公開書簡の展示見学

 展示中の井伏鱒二の未公開書簡も見学しました。これは、井伏鱒二の福山中学の同級生で、「恋しき」の元経営者の光成秋雄に宛てた書簡、10通です。戦後のものでしたが、井伏の受賞を祝っての贈り物に対する礼であったり、秋雄に釣りを勧めたり、気の置けない友人への思いやりが感じられます。

〈今城國忠作「井伏鱒二像」〉

〈井伏鱒二書簡(土井秋雄宛)〉

 

Ⅳ 江戸期の大庄屋・信岡邸(国指定重要文化財)研修―近世の人々の暮らしぶり

 山名洋通先生から、古文書の解説を通して、庄屋の暮らしぶりと精神性についてお話を伺いました。

〈敷地内に再現された茶室〉

 先生のお話は、古文書を読む上での基礎知識について、数的データの理解、尺貫法、太陰暦についてなど、基礎的なことから始まり、近世の世界観に及び、人々の暮らしぶりの具体に触れることができました。

 また、当時の生活においては、年貢を納めること、信仰における役割を果たすことが最大の仕事であり、それを果たすために、日々の記録を残すこと、その書き手の人材育成を3歳から始めていたことなど、具体的なお話が印象的でした。

 そして、西国の庄屋は、東国の場合(名主)と違って、和歌・俳句をたしなむ者は少なく、本を持っている家は少なかったとのことで、「庄屋文化」なるものについて、疑問を呈されたのが印象的でした。青木は、これについて、そこに生じる精神性そのものが「文化」というものではないかと先生に質問をしました。

 先生のお話では、信岡家は、女子教育に先進的な考えを持っていたとのことで、村の存続・繁栄のためには女子がしっかりしている必要があることにいち早く気づき、その教育に熱心に取り組み、明治以降もそれを運営したとのことでした。それは他の地域にはないことではないかとのお話でした。それこそが「庄屋文化」の本質だと言えるでしょう。

〈茶室前の蹲、水琴窟がある〉

〈信岡邸の門前で集合写真〉

 

Ⅵ 松永駅前「本庄重政像」見学

 最後の見学地は、松永駅前に設置されている、今城國忠作「本庄重政像」でした。いつもその前を通っていながら、これまで気づくことがありませんでした。本庄重政(1606~1676)は、松永の街を拓いた地域の恩人です。松永湾の干拓事業を行い、塩田を開いて町の基礎を作りました。若いころは、諸国を放浪し、武者修行をしたとの話もあります。今城國忠の銅像は、左足を一歩前に出し、右手で行く先を指さし、左手には巻物(地図か)を持って松永湾の干拓事業を指示するかのようです。アクティブな、力強さを感じさせます。

 今回の研修では、盛り沢山に、地域の賢人や銘品・名物の見学ができ、備後地域の文化の流れを実地に知ることができました。

松永駅南口前のロータリーの広場 今城國忠作・本庄重政像〉

 

【学生の感想から】

・今回は大学入学後、通算7回目となるフィールドワークへ参加となりました。7回目となった今回、今まで1つずつ点在する点でしかなかった前回までのフィールドワークでの学びが、点と点で結ばれ一本の線として理解できたような学びを経験できました。そんな今回のフィールドワークを一言で表すならば、「中世~戦後にかけての備後地域の地域性の変化」という言葉になると思います。この一言で表せると考えたのは、今回得られた学びの中でも時代や社会の変化に合わせた地域の役割の違いが印象的だったからです。より詳細に語れば、(1)中世都市草戸千軒:市場の形成、(2)江戸時代の大庄屋信岡家と福山藩の郷塾:百姓と武家社会の違い、(3)これからの地域との関わりの3点に整理されるように思います。(人間文化学科3年・加藤彩羽)

今回初めて研修というものをして、実際にみんなで見たり聞いたりしてすぐに意見を交換できるというのが普段の授業とは異なり、新鮮で楽しかった。動きながら学習でき、今後もこういった機会に参加していきたい。(人間文化学科2年・石原未来)

 

学長から一言:人間文化学科の青木教授のゼミで実施された、地域の文化施設、史蹟を巡るフィールドワークは実に多彩な内容が盛り込まれています。参加者は近世から近代、さらには現代まで、この地域に展開していた暮らしや花開いていた文化の香りを十分に堪能し、授業の中の座学で学んだ事柄が現実味をもって迫って来たのではないでしょうか。まさに、現場で知る醍醐味ですね。

 

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