メディア・映像学科
洞ヶ瀬 真人(どうがせ まさと)
職 名 | 准教授 |
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学 位 | 博士(学術) |
専門分野 | メディア表象、映像文化研究 |
担当科目 | 映像文化入門、社会学、情報社会とコミュニケーション |
メッセージ | 環境やジェンダーのことなど、今の社会に山積している問題に映像メディアの表現をどう役立てることができるのかを研究しています。社会を変えるには、まずは思いを言葉にして声をあげるべきかもしれません。しかし、そこに映像を添えるだけで印象が大きく変わりますし、意見の異なる人にも、目で見て耳で聞いてこういう社会問題があると知ってもらうこともできるかもしれません。そんな映像の可能性を生かした表現や映像なりの語り方をみなさんといっしょに考えていけたらと思っています。 |
「映像」という曖昧なメディア
「みかん」といったらあの蜜柑のことだ、といった言葉が持つかたちでの意味は、映像にはありません。それゆえ、意図したことを正確に伝えようとするコミュニケーション行為には向かないのが映像なのかもしれません。この点で、良くないことがこの世の中で行われている、といったはっきりとした社会批判を映像は、言葉なしでは打ち出しにくい曖昧なメディアだとも言えます。しかし、こんな映像にも社会に役立つ利点があると自分は考えています。
白黒つかない社会問題
現実社会は、善悪を問いにくい問題ばかりです。たとえば環境問題。人間の活動には、環境を犠牲するものが多い。これは良くないことです。だから「環境を守ろう」と言って経済活動を止めてみます。でも、それで生活に困る人々が出てきてしまえば、今度は環境保護を言い出した人が、「そんなこと言わなければ誰も困らなかったのに」と悪者にされかねません。実際、環境活動家の主張を不愉快に思う人も社会には少なくありません。しかし環境問題は、私たちみんなが生きるこの世界の問題であり、人間みんなが考えなければならないことです。
現実の姿を「映像」で社会に問う
こうした問題をどうみんなに問うか。この時役立つのが映像の力だと思います。映像は、排水で水が汚れた水路の様子を目で見てもらう、人の建てた工場群が景観を壊している風景を目で見てもらう、そういう環境問題の現実の姿に触れることを人々に促せるメディアです。映像自体には、それが良いとも悪いとも言えません。けれども、その映像に向き合うことは、どんな人にとっても環境問題を考える一歩になるはずです。そうした小さな一歩の積み重ねが、白黒つかない社会問題を少しでも改善の方向へ進めてゆく大きな一歩になると思います。
身近にある映像の力
広島に住む私たちには、そうした映像の力を体験する場が身近にあります。原爆資料館です。そこには、被害者の残した言葉とともに写真や眼に映る遺物が数多く展示されています。その場に行ってその像(イメージ)に向き合えば、残酷さだけでなく言葉にならない戦争の何かを誰もが感じるはずですし、そうすれば、核兵器に反対する人もしない人も何かしら考えさせられるはずです。そういった視る人の心や考えを触発する映像の力を、評価したり社会に役立てたりできないかと思いながら自分は研究に携わっています。