【生物工学科】島々に住む野ネズミが語る瀬戸内海成立史
新しい論文が公開されましたので紹介します。本研究では、ゲノム情報に基づき、瀬戸内海の島々に生息するアカネズミの類縁関係を調べることで、島と島との間の“類縁度”を評価しました。その結果、約2万年前の氷期に存在した古代河川が島嶼形成に大きな影響を与えたことを明らかにしました。本成果は、6月21日(火)に国際学術誌「Zoological Letters」にオンライン公開されました(論文はこちら)。著者である生物工学科の佐藤が報告します。
背景
これまでの地質学的研究において、瀬戸内海の海底には、氷期に形成された河川の河床が埋積されずに残った“くぼち(海釜)”が存在することが報告されており、それらは古代河川として認識されています。瀬戸内海の東に紀淡川、西に豊予川の2大水系が知られ、それぞれ現在の1級河川とつながっていたと考えられています。最終氷期の終了後、地球の温暖化とともに急速に海水準が上昇した際に、これらの古代河川が海との連結路となり、瀬戸内海の形成を推し進めたと想定されるため、古代河川が残した足跡をたどることで、瀬戸内海の形成の歴史を探ることができます。
しかし、地質学の研究では、過去から現在にかけて起こる堆積作用や浸食作用の影響もあり、過去の海底地形を解明するのには限界があります。実際に、古代河川の証拠である海釜は、現在の海況下で形成された浸食地形であるとの見方もできます。したがって、古代河川の存在を明らかにし、さらには瀬戸内海の形成史をより高解像度で理解するためには、地質以外の異なる視点でのアプローチが必要です。
そこで、本研究では瀬戸内海島嶼に生息するアカネズミ(Apodemus speciosus)の類縁関係を明らかにすることで、島の“類縁度”を推定し、古代河川がどのような順序で島の形成に関与したのかを明らかにすることを試みました。すなわち、瀬戸内海の形成過程を生物の視点から解明できると考えました。
研究手法・成果
本研究では、次世代シークエンサーを用いて、島嶼間のアカネズミの類縁関係を解明し、瀬戸内海形成史の詳細を明らかにすることを目的としました。近年の次世代シークエンサー技術の著しい発展により、ゲノム内の多くの多型を分析することができるようになり、生物多様性研究の分野にブレークスルーが起きています。この技術を適用することで、瀬戸内海の島とその周辺のアカネズミの類縁関係を一気に解決できる可能性があると考えました。佐藤がゲノム解析を行い、当時大学院生であった安田皓輝君が地理情報システムを駆使して古代河川の推定を行いました。古代河川の推定の際には、約2万年前の最終氷期最盛期に現在よりも120m海水準が低かったと仮定しました。
分析の結果、島々のアカネズミの類縁関係が高い信頼値で支持されました。例えば、因島-生口島(A)、大三島-伯方島-大島(B)、大三島-伯方島(C)、因島-生口島-大三島-伯方島-大島(A+B)、大崎上島-大崎下島(D)、上蒲刈島-下蒲刈島(E)、大崎上島-大崎下島-上蒲刈島-下蒲刈島(D+E)、倉橋島-江田島(F)の近縁性が支持されました。さらに、倉橋島-江田島(F)や向島のアカネズミは、福山大学、尾道、呉の本州の個体との近縁性を示しました。数の数値はブートストラップ値と言って、関係性の信頼値を示します。
これらの関係性を安田君が推定した古代河川とともに地図上に描いてみると、アカネズミの関係性と古代河川である豊予川の流路との間に極めて高い一致性を見出すことができました。以上の結果は、約2万年前の最終氷期最盛期に瀬戸内海西部を流れていた豊予川が島嶼域に生息するアカネズミの遺伝的分化の形成に大きな役割を果たしたことを示唆します。
波及効果
本研究は、島に生息する生物の遺伝的分化という観点から日本最大の内海である瀬戸内海の成立史に迫ろうとした初めての研究です。分析の結果、古代河川の一つである豊予川と、芸予諸島に生息するアカネズミの系統関係との間に極めて高い一致性が見られました。このことは他地域においてもアカネズミの類縁関係から過去の地史に迫ることが可能であることを示唆するとともに、アカネズミ以外の生物についても瀬戸内海島嶼を舞台として同様のゲノムレベルでの分析を行うことで、瀬戸内海の成立史が解明されることにつながることが期待されます。
研究プロジェクトについて
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究C 「アカネズミゲノム情報から瀬戸内海の古代河川が残した足跡をたどる」(18K06395;研究代表者 佐藤淳)の一環として実施されました。
論文情報
Sato JJ, Yasuda K (2022) Ancient rivers shaped the current genetic diversity of the wood mouse (Apodemus speciosus) on the islands of the Seto Inland Sea, Japan. Zoological Letters 8, Article number: 9.
DOI:https://doi.org/10.1186/s40851-022-00193-3
著者から一言
20年前に福山にやってきたときに初めて見た美しい多島海。その時「これらの島々はどのようにできてきたのだろう」と感じました。その疑問が今になってようやく少しずつ解かれつつあります。瀬戸内海の歴史を生物の視点から解明したいという高校生の皆さん、ぜひ、生物工学科へ。
学長から一言:ずいぶん専門的な内容で、学術論文を読んでいるようなブログですが、地道な調査・分析の成果が国際的な学術誌に掲載されたとのこと、素晴らしい! おめでとうございます! 私のような素人の読解力では、現在の瀬戸内海に点在する島々に生息しているアカネズミの特性を、遺伝子レベルの情報に基づいて分析することで、古代河川の位置や存在が当時のネズミの生活圏を分け隔てる機能を果たした可能性を探り当て、さらに瀬戸内海生成史の一端を明らかにできたということでしょうか。たいへんな手間暇を要する研究でしょうが、更なる成果を期待しています。