【生物工学科】専門英語:Zoomでアメリカとつなぐ
オンライン講義が進んだおかげで世界の距離が縮まりましたね。専門英語を担当する岩本教授からZoomを使って、アメリカと繋いだ専門英語の様子の報告が届きましたので紹介します(投稿は生物工学科 佐藤)。
皆さんこんにちは。生物工学科の岩本です。私は今年から英語科目の一部を担当することになりましたので、前期に行った講義の一コマ(二コマ)を紹介します。残念なことに、本学の学生には英語が苦手だ、英語が嫌いだという学生さんが少なくありません(私もその一人)。英語を学ぶモチべーションをどう上げるかが永遠の課題です。そこで、海外で活躍している方とリモートで繋いで直接話をお聞きすれば、少しでも英語に対するバリアを下げることができるんじゃないかと思い、二人の方に事情をお話ししたところ「いいですよ!」と二つ返事で引き受けてくださいました。こんな経緯で2回のリモート授業が実現しました。
最初にご登壇いただいたのは、本学の海外協定校であるカリフォルニア州立大学サンマルコス校のSweeney三好順子さんです。三好さんは愛媛県の出身で、英語が好きでアメリカに留学し、自分がマイノリティーであることに気づき、異文化で生活する大変さを感じながらも学生ビザ(F-1ビザ)から就労ビザ(H-1Bビザ、最長6年有効)を得て学業と勤務にフルタイムで取り組み、修士課程を終えたのちにInternational Study Abroad Connection, Inc. を立ち上げ、CEOとして日本とアメリカの架け橋となっておられます。現在は国際結婚してアメリカ在住18年です。また、Sweeney三好さんは本学に何度も来られたことがあり、本学の海外研修や「トビタテ!留学JAPAN」などでも大変お世話になっています。
サンディエゴの自宅とリモートで繋いだ話のテーマは、“My Potential, My Value”「自分の可能性や価値と向き合う」「本当に英語は必要なのか」「自分と向き合い挑戦する時間とチャンス」「日本の将来・自分の可能性を引き出す」というものでした。話の内容を簡単に紹介すると、世界の英語人口は15億人(全人口の20%)で、そのうち英語がNativeな人は25%しかいないので Nativeな英語にこだわらなくて良い、日本人は英語の基礎ができているので英語に苦手意識を持たなくて良い、学習法としては英語を学ぶ目的・動機をしっかり持ち、効率的な勉強法を続けることだそうです。チャンスがあれば、留学など「マイノリティー」体験をしてみよう、失敗を恐れずチャレンジしてみよう、わからなければわかったふりをしてごまかさずにわかるまで質問しよう、「不安だな」「心細いな」という「マイノリティー」体験が成長に繋がる、など非常に示唆に富む話でした。
質問タイムでは、学生さんが次から次へと質問に立ちました。「外国人と友達になる方法」とか「子供に教える秘訣」など、中には英語で質問をする学生さんもいて、みんなの前で三好さんとずっと英語でしゃべっていました(勇気ある!)。
実は、ちょうどこの日は三好さんの誕生日で、家族でディナーに行く直前の時間に無理して話をしていただきました。そこで、最後にBirthday Boardを作ってみんなで誕生日のお祝いをし、太平洋をまたいで集合写真を撮りました。三好さんもとっても嬉しそうでした。本当に有り難うございました。
次にご登壇いただいたのは、本学卒業生の岡田和嗣さんです。岡田さんは本学が開学された1975年に福山市で生まれ、福山誠之館高校から工学部食品工学科(現生命工学部生命栄養科学科)を1998年に卒業して、現在は名古屋大学の海外拠点 ”Technology Partnership of Nagoya University, Inc. (NU Tech)”でSenior Associateとして働いておられます(10月からは名古屋大学学術研究・産学連携推進本部のURAとして勤務)。NU Techは名古屋大学がアメリカ合衆国・ノースカロライナ州に設立したNPO法人で、ライフサイエンスを中心に名古屋大学とアメリカの企業との間の技術移転、アメリカの大学との共同研究に関わる業務のほか、交換留学・研修、また在米名古屋大学卒業生のネットワーキングなど幅広い活動をしている団体です。また、岡田さんは、ブログ「アメリカで10倍うまく立ち回る方法」の共同ブロガーの一人として、アメリカでの最新情報や経験などを発信しています。さらに、岡田さんは昨年アメリカでグリーンカード(永住権)を取得し、大きな庭付きの家も買ったので順風満帆なキャリアを積んでこられたと思っていましたが、話のテーマは意外にも「私のキャリア紹介、不成功者の例」でした。この謎は、岡田さんの話を聞いてよくわかりました。差し障りの無い範囲でかいつまんで紹介します。
岡田さんは本学卒業後、岡山大学大学院で農学修士、大阪市立大学大学院で医学博士の学位を取得後、同大学で助手として勤務したのちに教授の定年退職で研究室が閉鎖になり、別の大学に移られました。そこで3年間研究を続けられた後、当初は念頭に無かったアメリカでのポスドク生活に入られました。アメリカでの研究が軌道に乗ってきた矢先に、中国人のボスから「中国の大学に移るんだけど、一緒に来る?」と言われ、悩んだあげく中国の大学に移られました。しかし、研究環境が変わってアメリカでの研究が全く再現できなくなり、結局は中国をあきらめてアメリカに舞い戻り、また一から新しいテーマで研究を始めたそうです。
その後も研究室を転々とされましたが、昨年に大きなキャリアチェンジをされ、現在は研究職を離れて名古屋大学とアメリカの大学・企業との橋渡し役を担う業務をされています。ここには書けませんが、この間にも様々な苦境があり、苦労の連続だったことがよくわかりました。岡田さんは「福山大学時代は、将来こんな人生が待っているとは夢にも思わなかった。」そうで、そのきっかけは「思いもかけず、福山大学の大学院入学試験に落ちたこと」だそうです。しかし、このとき卒業研究の指導教員から受けた教えは、福山大学卒業後も自分の人生の方向性を決める時の重要な決断指針となったと言っておられました。さて、岡田さんの話を聞いた3年生は彼の話をどう聞いたのでしょうか?この授業では、授業の課題として学生さんに講師への手紙を書いてもらっておりますので、その一つを紹介します。
「この度は忙しい中、講義を行ってくださりありがとうございました。講義が終わって一番に思い浮かんだのは、伝記が書けそうな波乱万丈の人生を歩まれている…という事です。中でも岡山大学1998~2001間の内容が最も印象に残りました。家と大学がどれだけ離れていたのかわかりませんが、家に帰る時間がもったいないからと3日に1日しか帰宅せず、そのうち2日は細菌培養室の寝袋で寝泊まりするという生活をしていたということです。もしかしたら、研究を続けている先生方や研究員さんの中ではよくある話かもしれませんが、夢中になって調べごとをしていたら夜が明けていたなどの経験がほぼない私には、無茶してでも探求する姿勢がうらやましく感じました。
そのほかにも、中国の大学での経験も印象深かったです。中国では中国語を学ばなかったという言葉を聞いたときは、中国にいるのにほぼ英語で話せるのかと驚きました。アメリカで出来ていた実験の再現が出来なかったこと、高い建造物に上ってもスモッグで街が見えなかったこと等、興味深く感じました。岡田先生の人生がどういった軌跡をたどったのか聞くのは面白く、聞き応えがありました。来年の3年生にもこの機会を与えてくださると幸甚です。」
最後に。三好さんも岡田さんも、藪から棒なお願いにもかかわらず、貴重な時間を割いて気持ちよく講義に参加してくださり、とても感謝しています。三好さんからは「一番の誕生日プレゼントになった!(一番はご家族とのディナーで、多分その次)」、岡田さんからは「愛する母校のためなら喜んで。学生さんが海外を目指すきっかけになれば嬉しいです。」というお言葉をいただきました。心から御礼申し上げます。この授業が少しでも学生さんの心に残れば幸いです。
最後に岡田さんから一言。「青春を捧げた三蔵太鼓を打つ会がなくなったのは本当に残念。是非復活させていただきたい。」だそうです。
生物工学科の国際交流活動はこちらから:
学長から一言:「専門英語」の時間を利用して、受講生の英語苦手意識を取り除くための企画。しかも、コロナ禍の「御蔭」で身につけたリモートでの授業実施の手法を巧みに使い、本学とゆかりがあり、アメリカでガンガン活躍中のお二人のお力を借りての授業展開。今日に至るまでのご苦労話も含めて、きっと受講生には大きな刺激となり、英語を操ることの現実的効用を感じ取る機会となって、今後の授業に前向きに取り組もうという意識が強まったのではないでしょうか。この動機付けの効き目が現れ、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も。為さぬは人の為さぬなりけり」の精神で、受講生諸君が飛躍してくれることを期待します。