【人間文化学科】神辺を通して見た「文化フォーラム2019」総括
福山城築城400年記念協賛事業として「備後の里山・里海文化1─神辺の文化と歴史」と銘打って、2019年度は、神辺の文化の性格を解き明かしました。
学長室ブログメンバー、人間文化学科の清水です。こんにちは。今回は、昨年の10月から12月まで計4回にわたって行われた「文化フォーラム2019」についてお伝えします。
「文化フォーラム」は、福山大学人間文化学科の教員や学生の日頃の研究成果を地域の皆様に広く知っていただくために2006年度から開催していますが、特に今回のテーマは、人間文化学科がこれまで埋もれていた備後の文化を発掘・研究し、現代につなげる文化研究の拠点となることを目指すものです。キーワードは「井伏鱒二・神辺本陣・菅茶山」です。。以下、その概要と総括です。(予告記事・パンフレットはこちら)
・第1回:10月5日 井伏鱒二の作品における神辺 ―『鞆ノ津茶会記』を中心に―
講師:福山大学人間文化学部教授 青木美保
・第2回:10月19日 菅茶山と内海文化圏
講師:広島大学教育学部教授 竹村信治
・第3回:11月2日 神辺本陣の建築とその歴史
講師:福山大学人間文化学部講師 柳川真由美
・第4回:12月14日 儒者・菅茶山の思想と実践―儒家思想の精粋
講師:福山大学人間文化学部准教授 清水洋子
第1回は、本シリーズの皮切りとして、井伏鱒二の小説「鞆ノ津茶会記」に描かれた神辺から水野忠邦入城以前の福山市の姿を紐解きました。神辺は、戦国武将の激戦地であると同時に「神辺学校」という教育施設があったとの記録もあり、そこにひと・ものが集散する街道特有の性格を見ました。第2回は、新資料である讃岐の善通寺誕生院に所蔵されている「茶山先生梅花稿六十種幷茶山先生戊寅遊艸」の外題をもつ写本から、茶山の、琴平の文人との交流および瀬戸内海文化圏の内にあった神辺・廉塾の姿を知ることができました。第3回は、広島県重要文化財神辺本陣調査(受託研究、福山市主催:2017年度~2018年度)の成果に基づく新資料を踏まえて、19世紀の前半から半ばにかけて大規模な普請が度々行われたこと、その資金繰りや地域の職人の実態などがわかりました。第4回は、漢詩人・菅茶山のこれまであまり語られることがなかった義倉や私塾などに専心した社会活動家としての側面に焦点を絞って、儒者としての学問的背景・特徴を明らかにしました。
私の担当回では、思ったより多くの方が来場されました。菅茶山は漢詩人として非常に有名なのですが、その思想面はあまり関心を持たれていません(ように思っていました)。しかし、アンケートを見ると、実は茶山の本質とも言える思想部分をもっと知りたい、との声もあるのです。漢文資料の解読は時間のかかる作業ですが、引き続き調査を進めていきたいと思っています。
以下は、青木教授による総括です。
今年度は、福山城築城400年記念協賛事業として、中世から近世にわたる福山市の歴史と文化を語りました。人間文化学科のスタッフのうち、日本近代文学、日本文化史、中国思想史を担当する教員に加えて広島大学大学院から日本古典文学がご専門の竹村信治教授(本学非常勤講師)をお招きし、神辺の歴史と文化に焦点を絞って、井伏鱒二、菅茶山および廉塾、そして神辺本陣と菅波信道の業績についてという各テーマで集中的に講演を行い、原福山市の姿を具体化するきっかけづくりができたと思います。
参加者の中には、高齢者に交じって高校生や大学院生らしき青年の姿も見られ、今後の展開が期待されました。これらの研究は、今年度発足する「備後圏域経済・文化研究センター」において、さらに発展していくことになると思います。また、第2回においては、竹村教授が研究において譲り受けられ、明らかにされた門田朴斎や杉東の蔵書の一部(廉塾所蔵を含む)の本学への寄贈の申し出がありました。これは、地域に眠る貴重な資料をめぐっての今後の当該研究センターでの研究の導入となりました。
学長から一言:本学の研究ブランディング事業「瀬戸内の里山・里海学」では、テッポウギスの完全養殖、福山のバラから採取した酵母で作ったワインやパンなど、理系の研究だけでなく、「鞆の浦学」やこのブログの「備後の里山・里海文化1─神辺の文化と歴史」といった文系の研究も進んできて、幅と奥行きの両方が広がってきました!これからがますます楽しみ!!!