【☆学長短信☆】No.20 「キャンパス内の神社」
本学のキャンパスの中に神社があるのをご存じでしょうか。工学部棟と心理学科やサッカー場のあるエリアとの間のなだらかな丘の中腹です。実は、私自身は本学に奉職してから8年ばかりの間、まったく気づかないままに過ごしていました。仕事の流儀の一つとして「現場主義」に徹することを表明した学長なら、キャンパスの隅々まで頭に入っていてもよさそうなものです。迂闊でした。昨年の初秋だったと思いますが、その神社を清掃しお祀りするために、近隣の方々が本学敷地内に入りたいとの申し出があるので許可したいという話を秘書室から告げられたことがあって、初めてその存在を知った次第です。興味を覚え、さっそく一人で探しに行きましたが、その時は木々が繁茂し、神社へ続く小径は夏草に覆われて隠れていたせいか見つけられません。そのことを話したところ、親切な秘書室主管の道案内の御蔭でようやく場所を確認でき、「へー、こんな近くにあったんだ」と、ちょっと感動したものでした。
全国には8万8千社以上の神社があるそうです。そのうち神職者が常駐の神社は約2万社とか。キャンパス内にあるのは「権現神社」と呼ばれていますが、比較的小さな神社の社号である「社」と呼ぶのがふさわしい規模でしょう。しかし、よく路傍に見かける手でも抱えられるくらいの小さな「祠」の類ではなく、高さは約5メートル、縦横は1.5~2メートルの、そこそこ堂々たる造りです。社と呼ばれるものには大きな神社からご祭神を勧請したり、氏神様を祀ったりしている所もあると言います。最初の出会い以来、この社のことが気になっていました。主、つまり祀られているのが何、あるいは誰なのかを知りたくて仕方ありません。学内で周りの人に聞いてもラチがあかず、秋のお祀りの連絡を下さった東村町延江地区の自治会長さんに尋ねてみました。しかし、結果は同じ。現自治会長さんの前にやはり社をお祀りして来られたご高齢のお父上にもお尋ね下さったのですが、やはり祀り神が何かは分からぬままに過ごして来たとのこと。ただ、本学がこの地にキャンパスを造営するにあたり、それ以前からこの地にあった社の扱いについて相談したところ、故宮地茂名誉総長からは「守り神なのでそのまま残して欲しい」との返事だったとか。そこで、一年に一度、秋のお祀りを司っておられる神職にお尋ねしようと、お祀りに合わせて参拝することにしました。写真のとおり、延江地区の方々数名に混じってお参りしました。 しかし、その折にも情報を得られず、やはり判らずじまいでした。東村一帯の氏神様を祀る東西神社(東村と西藤を併せた呼称)の御神職も何が祀ってあるのか判らないまま祝詞を上げて来たそうです。広島県神社庁が1994年にまとめた『広島県神社誌』には、この社に関する記載はありません。御神職に依れば、お祀りしてあるのは石仏で、手の格好から見ると大日如来ではないかと思うとのこと。神社に仏像、一瞬「うん?何それ」と思いましたが、明治維新後の「神仏判然令」による分離までは、神も仏も区別しない神仏習合ないし混淆が当たり前だった国ですから何ら不思議ではありません。また、「権現神社」の「権現」とは、日本の神の神号の一つで、仏教の仏や菩薩が衆生を救うために仮の姿で現れること、またはその現れたものを意味するとか。
とまれ、一木一草まで自然界のあらゆる物の中に神の存在を想い、それらを時に畏怖し、時に慈しむのが古来わが国の信仰の源であったように思います。本学の「三蔵五訓」の一つにも「生命を尊重し、自然を畏敬する」とあります。そんな訳で、私は折に触れてお昼休みの食後の腹ごなし、あるいは食後血糖値を下げる努力の一環として行う散歩の際に、ふらりと立ち寄って「二礼、二拍手、一礼」、どうぞ本学の安寧をお守り下さいと祈ることにしています。なぜか清々しい気持ちになります。