【☆学長短信☆】No.11 「ギョウザ考」
今日2月1日は今年の場合、旧暦の正月元旦に当たります。旧正月の時期は天体の運行に合わせて決まるため、年によって新暦の1月下旬から2月下旬まで微妙に変化します。旧正月のことを中国では春節と呼び、その他にも韓国・ベトナム・台湾・モンゴル・シンガポール・マレーシア・香港・ミャンマーなどアジアの多くの国・地域では旧正月の方を盛大に祝います。新暦の元旦は1日だけ休みになるのに対して、旧正月の休みは数日から1週間程度。多くの人が親類を訪ねたり、観光旅行に出たりと、民族の大移動が起こります。
ところで、中国や各国の華僑・華人の間では、旧暦の大晦日(徐夕)の食事に欠かせないのが餃子。われわれ日本人が餃子と言えば、ほぼ焼き餃子、これは中国語では鍋貼(グオティエ)です。しかし、中国で餃子と言えば、南の方では焼き餃子や揚げ餃子も食べますが、北方を中心に、ほぼ水餃子。ぽってりとした厚めの皮に、豚肉、牛肉、マトンなどの肉、海老など海鮮、野菜は白菜、ニラ、セロリ、ネギ、椎茸などを好みで選び、細かく切りきざんで練り込み味付けした餡、つまり中身を包み、熱湯で茹で上げたもの。略して「水餃(シュイジャオ)」は私の大好物。そして、わが家の水餃は豚肉と海老と炒り卵入りの「三鮮水餃」。同い年で気が合い、1980年代から家族ぐるみの付き合いの北京の親友直伝です。これまたちょっと余談ですが、北京生まれで文革期には東北地方の寒村に「下放(シャーファン)」した経験を持ち、わが家の餃子作りの師匠である彼から、今世紀に入って間もない頃、当時流行っていた大学から実業の「海」に移るという意味の「下海(シャーハイ)」すると打ち明けられた時は大いに驚きました。何しろ学識・人柄ともに、これぞ北京大学の先生と感じていた人だったからですが、管理職という余り気の乗らないポストに就かざるを得なくなった頃、社会調査的、研究的な業務を任される外資系の会社で働くことをむしろ選んだというのが転職の理由。そのまま大学に勤めていれば恐らく・・・と、他人事ながら惜しい気もしましたが、なるほど彼なら「さもありなん」と頷いてしまいました。
そんな彼がずっと以前にわが家を訪れた時に作り方を教えてくれて以来、水餃はわが家で合作・協力のスペシャル・メニューになりました。私の担当は皮作り。小麦粉に加減を考えながら水を加え、耳たぶくらいの固さになるまで予めこねて寝かせておいた後、適度な大きさにした塊を手の平で一押しし、親指と人差し指・中指との間に挟んで軽く持ち、くるくる回しながら真ん中が少し厚めになるように、使い慣れた「My麺棒」で丸くなるまで伸ばして行きます。「餃子のオオショウならぬ餃子のオオツカで売り出そうか」などと冗談を飛ばしながら、妻が準備した三鮮の餡を包んでいきます。食べる人数にも依りますが、200個くらいは普通に作ります。すると、次の日に麺棒が当たった手のひらが痛くなります。ちなみに、ニンニクを餡の中に入れるのは、わが師匠によれば、日本風なのか邪道だそうで、茹で上がった餃子を酢醤油のタレにつけて食べる時、好みで生ニンニクをカリカリとかじるのが本場流。また、スーパーで買った出来合いの皮に包んで作っても、あまり美味しいとは思えません。
ただ、相当に手間暇のかかる餃子作りは、最近では一大決心をするか、よほど特別な日にしかできません。しかし、水餃が無性に食べたくなって困る時の解決策を幸いにも見つけました。わが家の近くの中華料理店のメニューに水餃子があることを知り、試してみたところ、これが絶品。北京などに出張で出かけた時には朝昼晩三食とも餃子でも構わないと思うくらいで、あちこち食べ歩きましたが、この店の中国人の店主が作る水餃は、中国で食べるより美味しいくらいです。ところが、この店に何度行っても、周りの客が注文時に頼むのはすべて焼き餃子。偶然なのかも分かりませんが、未だ一度も水餃子を頼んでいる人に出くわしたことがありません。今では店の人にすっかり顔を覚えられたようですが、ひょっとすると、予約名から「水餃のオオツカ」と記憶されているかも知れません。
さて、ここまで餃子話にのめり込んで書き続けると、これは「料理短信」かと、誹りを受けそうです。実は、私はこれまでのいくつかの勤務先で、ゼミの院生諸君と「餃子パーティー」を開いてきました。その時期が冒頭の春節前後。大学に調理の施設があったところではそれを利用し、時にはわが家に集まり、みんなで餃子作りから始めるのです。
かつてのわが比較・国際教育開発関係の研究室のゼミ生には当然のことながら中国人留学生もいて、みんな手慣れたもの。せっかく私が師匠譲りの皮作りの妙技を披露しようと思って意気込んでも、はるかに上手な学生もいます。この段階から何だかんだと話が弾み、和気藹々とした時が流れました。
福大では所属学生のいない部署に勤めたこともあり、授業も大人数の学部生相手でしたから、こんな機会はまったくありません。あの「餃子パーティー」は今思い出しても実に楽しい一時でした。何年も前に卒業し、みんな今ではあちこちで立派な大学教師等として活躍している元ゼミ生や訪問研究員にたまに会うと、彼らが覚えていて話題になるのは私が授業で話した内容などではなく、あの小宴会のこと。いったい自分は何を教えて来たのだろうと、はたと自問自答します。しかし、これも大学教育の大事な側面です。一緒に食べるという行為は人を結び付けます。さまざまな制約があり、誰でもどこでも可能というものではありません。とりわけコロナ禍の下で会食は厳禁ですが、学生との交流のために学生指導費のような予算も計上してあるのですから、教員の皆さんが専門的な指導を離れ、学生諸君との飲食を伴う付き合いを大いにやって頂きたい、コロナ後のそういう時期が早く訪れないかと願うばかりです。