【☆学長短信☆】No.2 「怒涛の如き4月」

 桜の花が散り、葉桜はそれなりに美しいとはいえ、いささか寂しかったキャンパスにツツジが咲き始めました。圧倒的に多い白い花の中にピンクや紫の花が混じり、まだ34割咲いたところでしょうか。ツツジの花はもともと色があるのが普通で、白い花は突然変異で白く咲いたのを改良したものとか。黄色や斑(まだら)、紅に近い色も他所では見かけます。いずれにせよ、キャンパスに明るさを添え、やがてすべて咲き誇り、桜と違って、相当に長く目を楽しませてくれるでしょう。 

 さて、就任から1か月、「ようやく過ぎた」と形容しようかとも思いましたが、やはり「怒涛の」と言うほうが当たっているでしょう。直前に理事長から辞令を頂いた身でありながら、直後に今度は人様に辞令を交付した1日がその始まり。翌日の新任教職員へのオリエンテーション、対面での入学式、各所への挨拶回り、他所からの挨拶訪問・お祝いへの対応、学長室会議・評議会・平成大との学部長等連絡会議・全学教授会ほかの諸会議、就任に伴ういくつかの取材や原稿執筆、等々。就任のこの時期だけに限られる種々の行事はもとより、いずれも初体験のルーティーンワークを含む諸用務に着手し、適応に追われました。取り敢えず新しい我が部屋に運び込んだ引っ越し荷物の整理もままならぬ中、とにかく仕事の段取りやペースを掴むだけで、あっと言う間に過ぎ去りました。 

 ところで、ただただ「毎月の初日に公開せねば」との思いに駆られ、急ぎ書いた短信No.1でしたが、落ち着いて考えて見ると、新入生に向けて語った43日の入学式の式辞は、学長としての大事な、しかも初めてのメッセージ。すでに旧聞に属することで恐縮ですが、参加人数を極力制限したことから、関係者の多くにお届けできなかったこともあり、今号は入学式での式辞原稿で、この場の責めを塞ぐことにします。 

 

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「共に育とう、“未来創造人”たちよ!」 

 

 三蔵の丘に春がまた巡って来ました。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」と言いますが、人の世がコロナ禍で騒然としていても、桜は今年もこのキャンパスに花を咲かせ、新たな仲間を迎えてくれました。新入生の皆さん、ご人学おめでとうございます。ご家族の皆様にも心からお慶びを申し上げます。 

 1975年に2学部3学科で出発した福山大学は、今や5学部14学科、大学院4研究科11専攻を擁し、人文社会、理工、医療系の揃った広島県東部で唯一の私立総合大学に成長しました。シンボル的新校舎「未来創造館」も完成し、揺るぎなく前進しています。卒業生は既に38000人を数え、備後はもちろん、各地で社会を支え、あるいは地域や組織の指導的、中核的立場にある人として活躍しています。 

 皆さん、全国の約780もの大学の中から、よくぞ我が福山大学を選んで下さいました。そのご期待に何としてもお応えしたい、何年か先に、やはり福山大学を選んで良かったと言って頂けるようにしなくてはと、私を含め教職員一同は今、身の引き締まる思いでいます。 

 福山大学は創立から半世紀近くが経ったのですが、皆さんが門をくぐった本学も含め、大学とは一体どういう所なのでしょう。大学という組織は今から数百年前、1213世紀の中世ヨーロッパで誕生しました。もっと古く紀元前の古代インドや中国、あるいはギリシャに大学の起源を求める説もあります。いずれにせよ、そこに集う者が共同して学び、切磋琢磨しつつ真理を探究していく場に他なりません。気の遠くなるほど長い歴史を誇る大学という「知の共同体」に、新入生の皆さんは仲間入りしたのです。その意義を噛みしめてみましょう。 

 皆さんは各学部・学科に所属して、それぞれの専門知識や技能を身に付けて行くことになります。社会へ出る前の助走期間の数年は長いようですが、きっと瞬く間に過ぎて行くでしょう。かつて中国の哲人は「少年老い易く学成り難し、一瞬の光陰軽んずべからず」と説きました。怠け心は禁物です。また、大学は専門の学問内容とともに、もっと幅広い教養と総合的な判断力を培い、豊かな人間性を育む場なのです。そのためのカリキュラムが組まれています。「教養ある人」となるための学びです。教養教育科目と呼ばれる一群の科目さえあります。しかし、それを履修すれば教養が身に付くものではなく、更に言えば、大学だけで教養に至る学びが完成するとも言えないでしょう。しかし、教養の核となるものを最も効果的に形成する場が大学であることは確かです。その際、何をどういう組み合わせで学ぶかは、皆さんの一人ひとりに委ねられます。  

 自らの興味関心に沿って自由に学ぶ「新しい学び」がこれから始まるのです。自由にと言っても、特定の学部・学科に所属するのですから、ある学科で必ず履修すべき科目やその時間帯があります。しかし、多少の違いはあっても、選択の幅が格段に広がります。また、自由を行使することは、同時に責任を担うことが求められるのは言うまでもありません。 

 皆さんの中に、大学とは受験勉強が終わり、社会に出るまでのモラトリアム、つまり、社会で一定の役割を引き受けざるを得なくなるまでの猶予期間を、ノンビリ楽しく過ごす所と思っている人はいませんか?そうでしょうか?誰かが敷いたレールの上を走るのではなく、自ら探求する「本当の学び」が始まるのです。それは、テレビのバラエティ番組のような面白さではないかも知れません。時に辛さを伴うこともあるでしょう。でも、真に「教養ある人」、精神の自由を身につけた人となれる楽しみが、学びの先にあるのです。 

 古来、多くの碩学は、専門の枠内に留まらず、一人の人間として生き方を問われるとき、物事を適切に判断する力そのもの、全体を見渡し全体の利益をはかる眼力を持つことを「教養」と呼びました。現実社会では、高度科学技術や医薬の分野などでも専門主義では片付かない問題が山積しています。ロボット、人工知能(AI)、ビッグデータ等の新技術を取り入れてイノベーションを創出し、多くの課題を解決する社会として、「Society 5.0」が構想されています。そうした目まぐるしく変化する世界の状況、そして虚偽の情報も含めて、膨大な情報が飛び交う時代に求められる「教養」とは何でしょう。①社会と関わりつつ、自己を位置づけてコントールする力、②自国と他国、あるいはもっと広く、異なる性・世代・言語・宗教・価値観・生き方・習慣など「自分と異なる他者」を深く理解し尊重する力、③自然や物の成り立ちを理解し、論理的に対処し、科学技術の功罪両面を正確に理解する力などを持つことと表現できるでしょう。 

 福山大学は、人間性を尊重し、調和的な人格陶冶を目指す全人教育を行います。建学の精神に盛り込まれたこの考え方は、コロナ禍の下でも、また、先ほど述べた「Society 5.0」の時代が訪れようとも、決してその輝きを失うことはないと私は確信します。建学の精神をふまえ、その上で「地域を想い、地域に愛され、地域から国際社会に繋がる“未来創造人”の育成」を実践します。これから数年間、皆さんと共に学び、仲間として、福山大学の歴史の新しい一頁を開けることを心から喜び、私のお祝いの言葉といたします。 

 

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【ちょっと良い話】 

 告げた行き先から福大の人間と見られたのでしょう、たまたま乗ったタクシーの運転手さんから、こんな話をされました。2匹が胴体でつながっていて、一方の頭はスベスベ、もう一方はゴツゴツの、すでに息絶えたヤモリを見つけたこと。その大きさになるまでよく生き延びたとの思い(左右がそれぞれの方向に向かおうとすれば、餌を捕るのもさぞかし大変でしょう。相互扶助制度のないヤモリの世界では)もあって、誰か分かる人に見てもらいたい、それなら近くの福大だろうと考え、手作り標本を持って日曜日のキャンパスを訪れたこと。ちょうど出くわした工学部の学生だと言う男子に事情を話したら、実にしっかりした受け答えで「適切な人を探してみます」と言ってくれたこと、あのヤモリはどうなっただろうと思っていること、等々。 

 私も「調べてみましょう」と約束し、ヤモリなら恐らく生命工学部だろうと、山本学部長に問い合わせたら、1日も経たない内に、同君から岩本教授経由でこの分野の専門家である海洋の阪本准教授のところに無事渡っているとの連絡をもらいました。貴重な「タワヤモリ」ではなく、「ニホンヤモリ」であったことなど、阪本准教授からも詳しいメールを頂きました。後日、くだんの運転手さんに顛末を伝えたところ、知りたかった事実が分かったこともさることながら、偶然にキャンパスで出会った初対面の高齢者の話をしっかり受け止め、誠実に対応してくれた学生さんの態度や責任感溢れる行動が嬉しい、福大には良い学生さんがいますねと満面の笑顔。私も鼻高々でした。 

 ポイっと放っておいても、誰も分からないでしょうのに、きちんと専門家である教員を探し出して届けてくれたのです。受け取った人もきちんと調べて下さった。些細な出来事のようですが、これは私にはものすごく大事なことに思えます。関わった人たちが良心的な人ばかりで、小さな事をいずれも「我が事」と受け止めて、それぞれに行動する。何と素敵じゃありませんか。小さなことの積み重ねが大きな評価に変わります。とくに人として素晴らしく、後で名前の分かったスマートシステム学科2年の荒木彰英君を心から褒めてあげたい、そう思うのです。 

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