【人間文化学科】新任教員の村上亮講師を紹介!

【人間文化学科】新任教員の村上亮講師を紹介!

ヨーロッパ史を中心とする歴史系の科目とドイツ語を担当しています村上亮と申します。初めまして。この4月より人間文化学部・人間文化学科に着任いたしました。この場を借りて、学長ブログメンバーでもある私自身の自己紹介をさせていただきます。

今回縁あって福山大学に来ることができ、とても嬉しく思っています。学生時代は関西学院大学、同大学院で学ぶとともに、2008年から2年間、オーストリア政府給費留学生としてウィーン大学に留学していました。また大学時代にはアメリカンフットボール部に所属し、卒業後はアシスタントコーチとして約10年在籍してきました。

私の専門は西洋史、とくに近代オーストリア(ハプスブルク)史です。オーストラリアではありません。コアラやカンガルーのいない方です。主に研究している時代は、日本でいえば明治維新頃から第一次世界大戦までの時期になります。日本でもミュージカルでよく知られるエリーザベトが生きた時代といったほうがわかりやすいかもしれません。地域でいえば、とくにサライェヴォ事件(1914年)の舞台となったボスニア・ヘルツェゴヴィナに重点をおいています。

 

ウィーンやサライェヴォと聞くと、日本からだいぶ離れた土地だという印象を持たれるかもしれません。しかし当時のウィーンやサライェヴォの地を踏んだ日本人は少なくありません。ウィーンには、かの岩倉使節団の一行をはじめ、明治日本の礎をつくることになった伊藤博文を筆頭に多くの政治家、軍人が度々訪れました。サライェヴォを訪れた日本人のなかでもっとも知名度が高いのは『武士道』などの著作で知られ、旧5000円紙幣に描かれた新渡戸稲造でしょうか。

またオーストリアからも日本にやってきた人もいます。そのなかでは、サライェヴォ事件の犠牲者となったフランツ・フェルディナント、世界遺産となった原爆ドーム(旧広島県物産陳列館)を設計したヤン・レツルに触れておかねばならないでしょう。レツルは当時オーストリアの支配下にあった現在のチェコの出身です。

これらの例はごく一部にすぎませんが、近年は日本とオーストリアの関係を意識しながら研究を進めています。歴史=暗記と思われがちですが、講義やゼミナールではあまり知られてこなかった事実を掘り起こすことで、みなさんに歴史の面白さを体感してもらうとともに、一緒に学んでゆくことができればと願っています。よろしくお願い申し上げます。

 

学長から一言:いかにもアメリカンフットボールという感じのゴッツイ体から、多彩な経歴から繰り出される華麗なヨーロッパの歴史のお話、このアンバランスがメチャ魅力的な新しい本学の教員です。。。乞う、ご期待!!!

この記事をシェアする